わたしはおととし2008年8月、日にちは忘れたけど、父方のおじいちゃんの墓参りに出かけ、
天国のおじいちゃんに「カズシゲも来たよ。」と合掌したら、フラフラッと倒れ、意識を失いました。
その後も、ウチの仏間で乾かした服を畳んでいるときにウ○コを洩らし、茣蓙を汚したりし、血尿も出て、
8月24日、1ヶ月前に入院した、ウチの最寄りの「虹ヶ丘内科クリニック」という消化器・血液内科が専門の入院設備のある内科クリニックに入院しました。
検査をすると、その1年前に水中毒で芙蓉会病院に入院した身でありながら、
1年経ったら"のど元過ぎれば熱さ忘れる"ということわざ通り、また水をがぶ飲みし、
血液が薄くなっていました。
それで、母ちゃに「何かあれば困るから…。」ということで、
仕事を休んでそばについていなさい、と指示を出され、
ナースセンター隣りの部屋に入院していました。
それだけではありませんでした。
わたしが当時1日4回(朝・昼・夜・寝る前)に飲んでいた芙蓉会病院の精神安定剤にも、血液の薄まる成分がある薬が入っていて、
入院した日は眠剤も飲めたのに、
次の日からは安定剤を飲むのを止められました!!
じつはこの当時、わたしは主治医だった荒谷雅子先生に受診して、
「眠れない」「街に出ると、人の目が怖くなる」「夜に電話がかかってきて、眠れなくなる」「夜中に暴れた」などと言うと、患者の要望通りに次々と薬を出されていました。
医者は患者の苦しみを聞くと、患者の気持ちを和らげようと薬を出します。
しかし、"和らげる"のと"次々出す"のは違います。
荒谷雅子先生は、青森ではアスペルガー症候群の分野でスペシャリストの医者で、わたしは彼女が転勤した病院を追って、去年2009年まで21年7か月お世話になり、
わたしのことを1から100まで知っている医者です。
しかし、荒谷雅子先生が勤めていた県立つくしが丘病院の患者からは、
「薬好きだおんな(薬好きだな)!」とか、「薬多い!」というクレームがあったことも事実です。
わたしの苦しみを聞いて、時々は「そういう薬、出せないな~。」とか、「そんなのない!!」「あなたに(パニック障害の薬)は合いません。」と言って、出せないと言った時もありましたが、
わたしがおととし入院した時も、1日25錠処方されていて、
虹ヶ丘の工藤育男院長が薬の成分を調べたら、
幻聴幻覚を抑えるものや、眠れる効果のあるもの、抗不安薬、抗てんかん薬など、まさにわたしに"ピッタリ合った薬"が入っていました。
飲めない間、夜は一晩中起き、
母ちゃのいとこのかこちゃん(和子ちゃん)が見舞いに来た時は、
青森で1年遅れで放送していた『母親失格』というドラマを見ていて、
かこちゃんが「カズクン、何見てんの?」と聞くので、
「ハハオヤシッカク!」と言うと、小さな液晶テレビを見てくれました。
大きな異変があったのは、8月30日(土曜日)でした。
あとから母ちゃから聞けば、かこちゃんの姉の信子が母ちゃと朝ごはんを食べようと
部屋を出たら、
わたしがパタッ…!!!!!と倒れた、と言うのです。
そして、この日から、生死を彷徨う幻覚と闘い続けました。
同時に肺炎を起こし、点滴と血圧計の一緒になった機械も付けられ、
体が熱くなるのも感じました。
同時に見た幻覚は、病棟の天井の換気口に監視カメラが仕掛けられていて、
それでわたしを隠し撮りし、その映像がMDのディバイドのように何分割もされていく、というものだったり、
おじっちゃの昔のウチの中の記憶が映像化され、それもディバイドされるというものでした。
虹ヶ丘は循環器・呼吸器内科も標榜していますが、専門ではなく、
「内科と精神科が一緒になった病院への転院」を模索していて、
はじめは芙蓉会病院の系列の村上病院を考えるも、
結果、当時医療ミス報道がありながらも患者に親切な医療を手掛けることで定評の
あおもり協立病院への転院を勧められました。
母ちゃははじめ、「村上病院ってどこだっきゃ?」と聞き、
弟に「青柳と新町は経営者が違う…。」と言っていて、
父っちゃも協立病院と聞いて、「アア! 共産党の病院ナ!」とのたまっていた、と聞かされました。
わたしは危篤状態になったことから、父っちゃが親戚みんなを呼び出し、
"最後の別れ"状態に親戚が集まりました。
弟カップル(現・夫婦)は、わたしが地デジやラジカセ、ビデオが好きだから、
「兄っちゃ~、オメ、地デジ買えよ! 地デジの~、スピーカーのいいの買えよ!」
と励ましてくれて、言葉が出なかった私だけど、ありがたいひとことだったと
感謝しています。
やがて、わたしは救急車であおもり協立病院に連れて行かれました。
ところが、ストレッチャーが思うように動かず、虹ヶ丘の階段でつっかえてしまい、
やっと運ばれ、協立に着いたら、「県病にしては新しい建物だし、病院、小さいな…。」と思いました。看護師に、「ココハ、ドコノ病院デスカ?」と、小さい声で
話した記憶があります。
そして、集中治療室に入り、看護師の手厚い看護のもと、水も500ccから飲めるようになりました。
ここにいる間、ほんとに現実か幻かわからない幻覚を見ていて、
印象的なのは、宇宙戦艦ヤマトのような宇宙船で、母校の原別小学校に出かけ、
ドラえもんの「のび太の恐竜」の映画を見て、感想を述べる。
わたしも夢の中で、「ボクは体が弱かったので、体をもっと丈夫にしたいです。」と
言った後、宇宙船で協立に"帰還"する。そのとき、点滴を打つのですが、
わたしは看護師に「看護師さん、眠れない…。」と言っていました。
あと二つ三つあり、当然ベッドに寝ていたのですが、STVラジオを聴いている患者がいて、それを聴いて、生きていると感じながら、
次の日には、自分の心臓に生命維持装置が埋め込まれ、
それがポキッ…! と折れて、郡山に行かないと直せないみたいな声も聴こえたり、
夢の中のラジオで医療相談をする朝番組が聴こえ、
古谷というTBSの人気男性アナウンサーが(古谷綱正さんではない)、
「看護師にお願いしても、早くやってくれない」という投書を読むと、その古谷アナは、笑いながら「看護師は忙しいから、やってくれないんですよ~。」と、
バカにしているかのような放送だったりしたことがありました。
集中に看護師が来たとき、看護師の表情が怒っているように見え、
「オガサワラサン、どうしたいの?」と聞かれ、タジタジになりました。
すると、自分のベッドの周りがCGのように部屋がつくられ、
自分の体を冷やしてくれる浴槽もついてきました。
部屋に入ると、福山雅治と共演したというクワバラケントというアーチストがいた"部屋"に邪魔してしまい、そしたらいろんなアーチストが出入りしたりしました。
そのあと、出射(いでしゃ)くんという子役の男の子と、
彼を育てる母親の日テレ女性記者の坂東という人~顔は余貴美子に似ていた~が出てきて、
出射くんは自転車で日本中を駆け巡り、それをおじいちゃん俳優の下館勉
~顔は、青森県十和田出身の漫才師・大瀬しのぶに似ていた~という人に
ケータイで報告する姿が公共広告機構のCMで使われたり、という幻覚がありました。
毎日自転車で駆け回るから、母親の坂東記者がケータイの電源を口移しで
出射くんにあげる、という姿も見ましたし、
その出射くんの電源が切れると、テレビの中継の電波の混信状態になったりしていました。
まだひどかったときは、主治医だった遠藤研先生が病室のドアを開けたら、
ウ○コを吸い取るブラックホールが出てきたり、
協立が医療ミスを冒した時期が『チーム・バチスタの栄光』の公開と重なっていて、阿部寛のやっていた厚生官僚みたいな役人が、「看護は人を診るだけじゃない!」
といって現われたり、
紙おむつをしていたとはいえ、ウ○コを洩らしていたから、
ウ○コの肥溜めを下館勉がバカにするような話し方で非難したりしてました。
また、母ちゃが女優・島田陽子と仲良しで、島田陽子はあらゆるところに電話をかけると"芸能デスク"に変身したり、
見てきた幻覚はスゴイです!
だんだん体がよくなると、今度は特急電車の中にある自販機の、
秋田の酒造メーカーでつくっているレモン飲料と、マヨネーズの容器に入ったコーヒーが欲しかったのに、
高校生が奪い合って感電してしまい、
言語聴覚士の鈴木さおりさんが嚥下のための口磨きをしている最中に、
わたしは「コーヒー、コーヒー!!」とうなされていました。
親戚の康子おばさんとダンナが見舞いに来て、
「おじさん、秋田にいたなら知ってるはずだけど、酒のメーカーが作ってるレモン水、って知ってる?」と聞くと、おじさんは
「岩清水レモンでねーが??」と答えてくれるも、定かではないです。
その他にも、むつ市の大湊の噴水に飛び込めば
鳴門の渦潮のようにグルグル巻きに巻き込まれたり、
青森市内の栄町一丁目の国道を、バスと並んで全裸で走るメロスがいたり、
ウルトラマンの顔をした「シモキタ皇帝」というのが出てきてうなされて起きたりとかはありました。
幻覚の話を書けば、気分を損ねる人もいるみたいですが、
わたしはどうしても話したかったので書かせてもらいました。
傷つけてしまったら、ごめんなさい。
次回は、別なテーマで書かせてもらいます。