わたしはバスの大ファンで、


ファン歴35年になる、筋金入りのバスマニアです得意げ


きっかけは、


母の姉のダンナが、青森県庁隣にあった頃の県病(青森県立中央病院)にがんで入院していて、


母がわたしを連れて、車掌も乗っていた、いわゆるツーマンバスのバスもあった青森市営バスで、東部営業所から県庁前まで乗ったのがきっかけで、バスにあこがれました。



車掌さんが「次は、○●前で~す!」と告げると、降りるという声に合わせて、「プ~!」と鳴るブザーや、



バス車体が湘南型みたいに、

横から見ると、台形のような形をしたバスが好きでした。



一番前の、運転手の隣のひとりがけにすわり、


誰よりも先にピンポンボタンを押さないと気がすまない性格は、今も変わりません。



青森市営バスは、佐々木前市長になったとき、青森市営バスは否定したけど、


佐々木さんが青森三菱自動車の社長だったこともあり、三菱のバスも導入されましたが、




基本的には東部は日野、西部はいすゞを使用しているので、


いすゞLVやキュービック、エルガミオ、日野レインボーを当たり前に毎日見て育ちました。



なので、他社のバスを、青森市内では見たことがなく、そこで役立ったのは、小学生が読むような、カラーの図鑑を立ち読みしていました。




今なら「バスマガジン」「バスラマ」「バスジャパン」といった“バスだけ”のバス雑誌が発売されていますが、当時は“バスだけ”の本がなく、図鑑みたいなカラー写真のついた本がすべてでした。






そういう本で全国のバスを見たとき、


青森市内で走らないバスが生き生きして走る姿を激写されていて、


「へぇ~、○●県のバスって、こんな風になってんだ~!」と気づいたときのカルチャーショックは忘れません。




今、青森市内のバスは、古いもので1991年に導入された、三菱のエアロスターもあったり、



15年以上前の古くて錆の浮いたバスばかり走っていて、みすぼらしい限りです、




みんなに愛される青森市営バスにリボーンするためには、30万いる市民の意見を聞く活動をと考えます。

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きょう、ふたつウレシいことがありました。



ひとつは、魚屋をしている父が、


「オメさかへさせたいから
(お前に食べさせたいから、という意味の津軽弁)」といって、売っている仲間の方からいただいた「ウニごはん」という炊き込みご飯をくれたこと。



もうひとつは、地元紙「東奥日報」夕刊の「明鏡」欄に、



青い森鉄道への意見を書いて、掲載されました!



東奥日報の明鏡には、4年前からお世話になっていますが、


いつもつたない文章でも掲載していただいて、感謝しております。



通っているデイケアのメンバーからも、

「カズシゲさんの記事、読んだよ!
文章、うまいね!」と褒められます。


2年前に県病で再会した、

小学校4年生のときの、
現在84歳の障がい者になった担任も、


「東奥日報、いつも読んでるから。


さすが、ワが作文書かせたお陰だ」と、
褒めて励まされました。



わたしは、その先生に認めていただいて、

みんなからも認めていただいて、ウレシいし、幸せをひとしおにかみしめています。



掲載していただいて、ありがとうございます。


これからも、県民に沁み渡る文章を綴っていきたいです。


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きょう、ふたつウレシいことがありました。



ひとつは、魚屋をしている父が、


「オメさかへさせたいから
(お前に食べさせたいから、という意味の津軽弁)」といって、売っている仲間の方からいただいた「ウニごはん」という炊き込みご飯をくれたこと。



もうひとつは、地元紙「東奥日報」夕刊の「明鏡」欄に、



青い森鉄道への意見を書いて、掲載されました!



東奥日報の明鏡には、4年前からお世話になっていますが、


いつもつたない文章でも掲載していただいて、感謝しております。



通っているデイケアのメンバーからも、

「カズシゲさんの記事、読んだよ!
文章、うまいね!」と褒められます。


2年前に県病で再会した、

小学校4年生のときの、
現在84歳の障がい者になった担任も、


「東奥日報、いつも読んでるから。


さすが、ワが作文書かせたお陰だ」と、
褒めて励まされました。



わたしは、その先生に認めていただいて、

みんなからも認めていただいて、ウレシいし、幸せをひとしおにかみしめています。



掲載していただいて、ありがとうございます。


これからも、県民に沁み渡る文章を綴っていきたいです。


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