久ぶりの更新で、

何話そうかな? と思っていたら、

きょう青森市の県営スケート場の向かいの陸運支局でやる

「青森バスまつり」に行く話でもしようかと思ったのですが、


8月27日(金)から始めた

「ところてんダイエット」で成果が出たことを話しましょう。



ことの始まりはその日。

デイケアのバス旅行で田舎館村の「田んぼアート」を見に行くバスの中で、

ケータイに、青森市営バス管理課から、

「市営バスの審議員に決まりました。」と、連絡がありました。


しかし、わたしはメチャクチャに太っていて、

体に合う服のサイズが5~6Lなのです。

で、持っているスーツも4Lまでしかないので、


青森市営バス管理課の担当職員さんに、

「スーツがないので、トレパンで来ていいですか?」と聞いたのですが、

その方は、「トレパンは失礼だから、スーツがなければ、カジュアルな服装で。」

とおっしゃりました。


たしかに、その通りだと思いました。



家に帰って、母ちゃと弟夫婦にそのことを話すと、

弟は「カネは出さねーよ。」と言いながら、

わたしに「1日一回、ところてんと野菜を食えば、

あとは好きなだけ食ってもいいし、

プールと併せてやれば瘦せる。

寒天ゼリーもつくってやるから、

オメだば1カ月で(ウェストが)30cmは軽く瘦せるから、やってみろ。」

と勧められ、始めました。



さすがにその日はところてんがなく、

義妹の持ってきたトマトと、

母ちゃが買ってきたキャベツと、オクラとイカの和えものだけを食べ、

ところてんは翌日以降にたくさん買ってきて、

1日2個食べてます。


同時に、サボっていたプールの水中ウォークも再開し、

実行して2日で、7.7cmもウェストが引っ込みました!!!!!!!



おととい、デイケアで

弘前にある藤代健生病院という精神科病院の文化祭に行って来て、

地場産トマトが一袋50円!! だったので、3袋買ってきました。



しかし、そこで出店のものを食べ、

昨日までの三日間は、ウェストは停滞気味ですが、

胸板がスッキリ!し、二重アゴも控えめになった気がします。



きょうもまたところてんを食べるし、

瘦せてからもところてん+野菜&プールは続けるので、

10月に始まる審議会までに、

4Lの服が入るまでがんばります!!!!!!

今月、デイケアでは9日にバス企画旅行で平川市(弘前と黒石の中間にある、青森県10番目の市)碇ヶ関の道の駅に行き、


15日には「親交会」主催のボウリング大会にでてハッチャけ、

「ナイス・プレー賞」までいただき、


先週いっぱいは23日に蟹田(外ヶ浜町)の観瀾山(かんらんざん)海水浴場で、

海開きの日程の関係で、スイカ割りしかやらない海水浴に使うスイカを買うために

必要なお金を集金さねばまいねー(ダメ)がら~、と、かなりムリをしているうちに、


16日のデイケアが終わって、病院最寄りのバス停まで歩く時からフラフラになり、

決定的にダメだな、と思ったのは、バスが青森駅に着いた時でした。


腹がニヤニヤ(地元の人は、ぐにゃぐにゃした様子を「ニヤニヤする」という)して、

寒気もする、頭はもちろん痛いし、節々も病む、体も熱る…。


5月も、足の裏の水虫の皮を剝いで、バイ菌が感染し、同じことが起きていますが、

今回は足ではないようです。


思い当たるのは、汗をかいてもバスタオルで体を覆わず、裸で風に当たり、

シャワーも水のような温度で浴び、

部屋では扇風機を回さずに寝る…。


家に帰ると、晩ご飯も食べたくなく、毎日日課の風呂も入らず、

眠剤を飲んで、部屋のベッドに横になりました。


2時間後、下に降りて熱を測ると、39.2゜Cだったので、

生協さくら病院から処方されている解熱剤・頭痛薬の「カロナール」を飲むと、

4時間ほど眠り、また起きて熱を測ったら、38.2゜Cに下がりました。


17日は朝から血尿もあり、協立クリニックにいました。


母ちゃも「どこが悪いのか? 炭酸飲んだからだべか?

生協さくら病院に行ったらいいんだべか?

血液なら虹ヶ丘内科クリニックがすぐなんだよな~。」と言っていましたが、

おととし入院したのもあおもり協立病院なので、

協立クリニックに行くことにしました。


わたしは2007~2009年の3年間、

2007年は青森県立精神保健福祉センターデイケアで飲んだ水を吐いて

強制入院し、水中毒を治したもまた水中毒になり、


2008年は悪性症候群で入院、


2009年は皮膚科に入院し、


母ちゃ曰く、「恐怖の8月だ!」と言われます。


最近もわたしはハイテンションになっていて、

自分でも「何でハイテンションなのか?」とわからなかったのですが、

熱があってテンションが高くなる? と思いました。


母ちゃも協立クリニックと協立病院を間違え、

協立病院に車を止め、歩いてクリニックに行くと、

汗をかきたくないし、熱で苦しむわたしは母ちゃに腹を立ててしまいました。



そして、診察開始の9時まで、

わたしは内科処置室のベッドで横になりましたが、吐きたくなって仕方なかったです。



診察では、神経内科が専門の柏村先生という先生が診察し、

「2年来ていないし、さくら病院と協立と電子カルテが対応してないし、

近況が生協さくら病院でないとわからないから、

『どこが悪いんだべか?』っていう病気は、やっぱり主治医の判断を仰いだ方がいいかも。でも、今回は風邪だと思うよ。」と言われました。


血尿については、

「マラソンランナーも走り終えれば血尿を出すから…。」ということを言われました。


結果、血尿・頭痛を抑える点滴と、熱冷ましの注射をし、

点滴をしていたら、ろくに寝ていなかったので、夢遊病者のように体が動きました。


2時間かけて点滴を終え、薬をもらうと、

以前、芙蓉会病院や青森市民病院精神科でもらっていた「PL顆粒」という

白い粉の風邪薬と、血尿を抑える抗生物質が処方されました。


PL顆粒は、飲むと眠気や呂律が回らなくなるのですが、

のどの腫れや熱、節々の痛みなどの対処で出したのでしょう。


家に帰ると、食欲が湧き、久々にごはんもの(スーパーのロースかつ丼)を食べました。

夜も白米を食べ、点滴や風邪薬でこんなに回復できるんだ、と知らされました。





このブログを書いている今は、6時間ほどしか寝てないので、

朝ごはんを食べたらまた寝ようと思います。

わたしは去年まで22年間お世話になった主治医・荒谷雅子先生に頼んで、

自分から「この薬効かない」「眠れないから…」「人と目を合わせるのが怖い」

「いじめられても堪えられるように」という安易な気持ちで薬を増やしてもらっていました。


はじめに効き目の強い薬を出されたのを体験したのは中学時代でした。

当時、父っちゃの用事で、家族が全員出かけていて、

家にはわたし一人で留守番をし、

「いつ帰ってくるんだ?!」と思い、寝られませんでした。


そのことを3日後の水曜日、

当時荒谷雅子先生が勤めていたつくしが丘病院で受診して、

「眠れなかった」と言っただけで、青い楕円の眠剤、

いわゆる「ハルシオン」を出されました。


それを飲むと、次の朝起きれず、学校でも眠気が起き、

高校時代は保健室で寝ていたりしていました。



そのころ、わたしの頭の中では、

「薬で苦しみが忘れられる、苦しみから逃れられる」と感じてしまい、

いじめられていた苦しみも、

上級生から「養護!(特別支援学校を出ていると思われていたから、こう呼ばれた)」と

バカにされた苦しみも、

ひとりで寝るときに来る電話の恐怖にも、

何から何まで薬が助けてくれるという、間違った考えを持っていました。



1994年2月、事件は起きました。

わたしは夢にうなされ、高校時代の生徒指導部長・佐々木康公(やすまさ)に苦しめられる夢を見て、起き上がり、下に降りて、

寝ている父っちゃ・母ちゃに包丁を向けました。


じつはこの当時、父っちゃと母ちゃがわたしの就職が決まらず、

母ちゃが年金を申請したいというと、父っちゃが「年金をもらうと、カズシゲが仕事を探さなくなる。」と言い張ってケンカをしたり、

わたしもこの前の日、テフロンのフライパンを洗うのに金タワシで洗って、

母ちゃに咎められて、気持ちがいらついていました。


次の週、受診で「暴れてしまった。」と荒谷雅子先生に言うと、

荒谷雅子先生は「ああ、やっぱり出たか…。」と言っていて、

今その言葉を解釈すると、薬で暴れてしまう作用が出たな、と言っていたのだと思いますが、

当時、年に一回は夜中に目覚め、

そのたびに薬を替えていましたが、

どれも、わたしの望んだ薬ばかり調合した多剤投与でした。



1995年11月、母ちゃとそのころ荒谷雅子先生が勤めていた青森市民病院に受診した時、

母ちゃも「薬を勝手に替えられて、カズシゲに合った薬を出して欲しい。」と言ったのか、気分が楽になる薬に替えてもらいました。



そのあと、わたしはNTT青森の食堂に勤めますが、

OD(オーバードーズ、処方薬の過剰摂取)もしていました。

ODは、2003~2005年にかけても、当時通った芙蓉会病院の薬でもやっていました。


自分で「飲むと落ち着かなくなる」とわかっていながらコーヒーを"眠気覚ましだから"という屁理屈で飲み、気分を不安定にさせた後にODしていました。



そういうことをしたり、自分で勝手に薬を増やしたために

2008年8月、わたしは悪性症候群という重病になり、

水中毒の治療を施され、

今は3,000cc(3L)までの水(ジュースも含む)ならOKと言われ、守っています。


初めに入院したクリニックの先生が薬の成分を調べたら、

幻覚幻聴止め、ムードスタビライザー代わりの抗てんかん薬、

安定剤、抗不安薬など、

どれも"お望み通り"に処方された薬ばかりだったそうです。



その結果、退院後初めの半年間は芙蓉会病院の荒谷雅子先生のままだったのが

今はダンナの荒谷信夫先生の勤めていた生協さくら病院に移りました。



どうしても荒谷雅子先生だと、また薬のモルモットにされかねなかったから移りました。


信夫先生も、雅子先生同様やさしい人でした。

アドバイスもしてくれるし、薬もガクッと減らしてくれた。

同じ夫婦なのに、薬の量がこんなに歴然と差が出るのも知らされました。






精神科医がタイトルを見て、何人読むか知りませんが、

精神科医に言いたいのは、

「多剤投与で治すのがすべてじゃない、

多剤投与は昔ながらの医者の考えで、死に至らしめる悪いやり方だ。

多剤投与で儲かるのは病院と医者で、国の医療費も圧迫される。

患者が悪性症候群に陥る前に、全国の精神科医は、薬の出し方について考えた方がいいのではないか?」

ということを言いたいです!!



全国の精神科医のみなさん、

わたしを例にして読んで下さい!!