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コンニチハ。

 

 アプリ児童デイサービス不動前の土岐です。

 

 今回は「インクルーシブ教育」についての思うことを書かせていただきます。インクルーシブ教育とは、ごくごく簡単に言うと、障がいの有無で子どもを区別せず、同じ場所で一緒に学ぶ教育とのことのようです。どうなんでしょう、みんな一緒に学ぶ、そのために合理的配慮をして、障がい児者の能力を引き上げて、またいろんな人がいるんだなと理解し、お互いを尊重し、多様性を認め合いましょうということでしょうか。なにか、考え方が間違っていましたら、ご指摘いただければありがたいです。

 現状も、通常級に支援員が配置されたり、保育所等訪問支援で訪問支援員の方が対象児童のクラス見学をしたりしています。いわゆる、「入り込み」というやつです。         

 でも、インクルーシブ至上主義になると、セパレーション(分離教育)の特別支援学校の存在を否定することになりかねません。障がい児者の方々はひとりひとりの特性や個性が違うので、環境に対しての適性や将来の可能性も多種多様です。判断はとてもむずかしいのですが、その個人に対してインクルーシブ加減の落としどころをどこにするかが非常に悩むところではないでしょうか。

 ということで、兵庫県立阪神昆陽高等学校についての話題に移ろうと思います。特別支援学校と普通校を一体的に整備しているのは全国でもこの阪神昆陽高校の一校のみだそうです。もっと近ければ、見学に行きたいところです。普通校と特別支援学校が渡り廊下でつながっていて、両校の授業のどちらでも選択可能なようです。また、体育祭などの行事も合同で行っています。

 いろいろな難しい課題はあるかと思いますが、いい試みだとは思います。ただ、卒業生の進路や学習結果などはどうなのかなぁーと思うところは正直あります。

 しかもこれだけ、インクルーシブ、インクルーシブと叫ばれているのに、全国でたった一校なの?と疑問になってしまいます。一校しかないのは、理想と現実というかさまざまな実現に向けての障壁があると想像してしまいます。

 また、東京都に限って言えば、特別支援学校は都立、そして都立の普通高校もあるのでとっかかりとしては高校から始めるのがよいかもしれません。しかし、小中学校となると、特別支援学校は都立、小中学校は区立なので行政の壁が出てくるかもしれません。実際、給食費無償化の時も区の政策となってしまうので、都立の特別支援学校の議論はスロースタートで、もしかして置いてけぼりで無償化なし?みたいな現状だったようなので…。

 

では、おススメです。

 

金閣寺 三島由紀夫(1925-1970)

 三島作品を初めて読んだのは、『仮面の告白』でした。高校生の時に読んだのですが、どれだけ理解できたかはわかりませんが衝撃的でした。

 三島作品はレトリックを巧みに用いて、美しい文体と緻密な構成によりストーリーを紡いでいくという印象が個人的にはしています。

 さて、本作は吃音者の学僧 溝口の障がいや性的な悩み・友人 鶴川の死・内飜足の友人 柏木の障がいを逆手にとった狡猾さなどを通じて、最終的には溝口の美の象徴である金閣寺に放火してしまうといった内容でしょうか。吃音者ゆえのコンプレックス、僕に言わせればいわゆる中二病的思考などがあると思います。スミマセン。これだけではないのですが、うまく表現できません。思いをすべて書くととても長くなりそうです。

 主人公溝口さんには、【Alexandros】の「Mosquito Bite」の楽曲を捧げます。歌詞の 誰かの言葉が 傷をえぐっても But after all it's nothing more  than a mosquito bite のところを聴いていただきたいです。

 また、金閣寺の装画は僕の好きな画家 速水御舟の『炎舞』(部分)なのですが、僕的には蛾が舞っている部分を入れてほしかったです。

  僕は、本の装丁や装画に惚れて、ジャケ買いをよくする方だと思います。僕の妄想彼女 本谷有希子さんも動画の中で「昔ある方に どれだけいい内容を書いても、結局はタイトルと装丁で全部決まる。その方はその後ずっとヒットを出している。」と言っていました。装丁の仕事の奥深さは、和田誠さんの『装丁物語』がおススメです。今では当たり前でしょうがないと思いますが、和田さん同様、僕も裏表紙のバーコードは美しくないと感じています。

 話はそれてしまいますが、装画を一目見てジャケ買いした例として、これまた僕の好きな画家 髙島野十郎のカバーが美しい『真鶴』川上弘美著とか、『グレート・ギャッツビー』F・スコット・フィッツジェラルド著などは、カバーちがいで持っていたりします。最初のは、アメリカの光と影の画家 エドワード・ホッパーの装画が気に入っていたのですが、その後 タマラ・ド・レンピッカのカバーとなり、思わず買ってしまいました。

 ついでに『華麗なるギャッツビー』の映画の話をさせていただきます。映画化は2回されていますが、最初のロバート・レッドフォードの方のやつです。

 まず、衣装担当を、まだあまり知られていないラルフ・ローレンが手がけています。幅広いラペルでゴージラインの高いスリーピース・白いボウタイのタキシード姿などとてもカッコいいんです。現在のラルフローレンブランドが時代とともに支持されているのがわかります。現在、テニスのグランドスラム4大会のうち、全豪・ウインブルドン・全米オープンと3大会のオフィシャルアウトフィッターとテニス界を席巻しています。ローラン・ギャロス!ポニーのロゴに屈しないでください。

 

 脱線ついでに、見た目というかルッキズムについて少しお話いたします。障がい児者の容姿や身体的な特徴を蔑む言動などもルッキズムに関係してくると思います。現在のエンターテイメント業界は外見至上主義的な要素がみてとれますが、それにある種のユーモアを交えて、一石を投じているバンド CHAI がバンド活動終了を発表しました。CHAIと言えば、少年ナイフやおとぼけビ~バ~とともに、海外での評価が高いガールズバンドといった印象があります。

   CHAIが立ち上がらせていた世界とは、日常の中で心ない言葉を浴びせられても、自身に劣等感を抱いても、ここに入れば心を守ってもらえるようなセーフゾーン。世の中で「かわいい」「かっこいい」「正解」とされるものから外れたものもすべて肯定してくれるような、否定をなくし肯定の範囲を広げた世界。ラストライブでユウキが言った言葉を借りると、「自分を愛することは難しいことじゃない」と気づかせてくれる世界。自由で無敵で愛が溢れている心の行き場所、それが「CHAI」の概念だった。   (ネットから引用) 

その解散ライブといっていいと思いますが、参戦してきました。

 ライブの最後の挨拶を終えたあと、ステージ上には「NEOかわいいの五訓」が書かれた垂れ幕が開きました。

 1.人と違う自分こそ愛せよ

 2.いつだって自分に正直に生きよ

 3.ネガティブな自分も愛してよし

 4.なりたい自分を生きてよし

 5.自分のNEOかわいさを疑うべからず

 

今回は余計なことを書きすぎましたので、このくらいにさせていただきます。

 

 タデイ・ポガチャル選手!ジロ・デ・イタリア初参戦。

 マリア・ローザでイタリアの山岳地帯を駆け抜けてください。

 応援しています。

 

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。