日本の炭酸水 ~ウィルキンソンの歴史~ | バイオレッターの心も身体も軽やかに

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日々の生活での気づきや、出来事、スピリチュアル、感動、ワクワク、トキメキを綴っています。



小学6年生の頃に

アンティークに目覚め、

社会人になってからは

いろんな古いものを集めてきました。






特に、戦前の絵葉書やラベルの

デザインに魅せられて

本当にたくさんの紙ものを

集めまくっていました。




時を経て、内面の変化もあり

10年ほど前からボチボチと

整理し始めて、今では殆ど

断捨離して手元に残っているものは

ありません。





まさか、自分がブログをするとは

思っていなかったので、、

それが判っていれば

処分前に記事にしていたのに

残念です、、(T_T)




夏ということで、、




今日は唯一、手元に

残っている「ウィルキンソン炭酸水」の

ラベルをご紹介させていただきますね。






ラベルに書かれてある

「 Bottled at Takaradzuka 」が気に

なって、調べてみました。




和風のデザインと紙質から見ると

戦後の昭和20年代初めくらいで

外国人向けに作っていたのでは、、

と思うのですが、、





《 ウィルキンソンの歴史 》


1889年(明治22年)頃に、日本在住の

イギリス人、クリフォード・ウィル

キンソンが現在の兵庫県西宮市生瀬で

狩猟中に天然の炭酸鉱泉を発見したの

です。




この鉱泉水は、医療用、食卓用としての

品質が高く、ウィルキンソンはこの

鉱泉水を瓶詰めにして、外国人向けの

食卓用水として販売する事を企画した

のです。



そして、1890年( 明治23年)、現在の

兵庫県宝塚市に工場を設けて

事業を開始したのです。



ブランドは仁王印ウォーターと

なりました。






コレですね!





そして、1904年(明治37年)にブランドを

ウィルキンソン・タンサンに改めた

そうです。








そして、大正時代にジンジャーエールの

製造を開始。





そして、戦時中は工場が接収されて

軍需工場となって、炭酸水の製造が

打ち切られて、再び戦後に

再開しました。






1950年( 昭和25年 )、アメリカ合衆国の

ゼネラルフード・コーポレーションと

提携して、「バヤリース」が発売

されました。





そう言えば、昔、宴会の席では

必ず、子供や女性の前には

明るいオレンジ色の瓶が置かれて

いたものです。






レモン味の炭酸水です。







これはシャンパンサイダーと

ありますね。



今、日本酒の炭酸割りが

人気ありますよね?






1951年( 昭和26年)に

ウィルキンソン・タンサンは、

朝日麦酒が販売を行い、



1983年(昭和58年)には

製造・販売共に

アサヒビールとなるのです。





明治時代から

時は平成となった今、



空前の「炭酸水ブーム」が

来ています!




ガラス 瓶からペットボトル入りまで

従来のタンサンに

グレープフルーツ、アップル等の

ラインナップを増やし

空前の売上を伸ばしている

そうです!