致死性不整脈のつらいところ | なんとかなるもんだ

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2013年:膀胱癌再発
2016年:ブルガダ症候群、身体障害者手帳取得。
2017年:てんかん、右目緑内障
2018年:腎盂、右腎嚢胞
2019年:右目白内障、右多房性腎嚢胞
2021年12月膀胱がん完治
2022年左目緑内障
2023年膀胱内に変異箇所あり経過観察

妻2019:乳癌

なかなかコメント返せずすみません。今週は、懇談会期間でバタバタしてます。中学3年生。受験校がほぼ決まります。ブレはまだあるでしょうが。まぁ、、ね。意外とトントンと進んでます。

三年前の今日について少しだけ。
三年前、特別支援学校にいました。
てんかんの疑いのある子が下校時に発作を起こし、あわてたヘルパーから学校へ連絡が入りました。
親へ連絡、急いで生徒が発作をおこした場所へ自転車を飛ばして行きました。
ヘルパーと生徒と合流。発作後、医務室で寝ていたので、生徒の家から近い脳神経内科のある病院へ救急車で行きました。なかなかこない保護者を待ち、結局帰宅は20:00。バタバタした日でした。あまりに疲れすぎて、その日は22:30には風呂。23:30に布団へ。

起きたら病院のベッドの上にいました。
なんの前触れもなく。夜間に、いわゆる死戦期呼吸なるものになり、たまたま寝るのが遅くなった妻が私の異変に気づき、即救急搬送でした。

妻がいなければ今の私はいません。
妻は「私は見つけれた。でも私が急変したらあなたは気づかなさそう。」と言ってるので、、どーしよう。

『ブルガダ症候群』の病名がわかったのは、後日行った電気生理学的検査です。不整脈はそれまでありません。

まず、予想しないことがおきると思考が追いつかない。なんなんだよって。
ブルガダ症候群を調べたらあまり良いことは書いてない。
『致死性不整脈』
最低やん俺。つまり、急に死にかけたわけで。
あとからすごく震えました。

起きたら、違う場所ってのはリアルに怖いものがあります。自分の記憶をたどっても、知らない場所で、なぜそこにいるのか、まったくわからないという経験は、ほんと怖い。
今のところ、その怖さについては2回で済んでますが、3年で2回ってのは、、、まじ困る。

ただ、意識が戻るということのありがたさですよ。生と死の境目は怖い。癌のなんとも言えない怖さもわかりますが、これも怖い。
なぜ、私は両方知る必要あるのかそこは分かりかねますが、、、。ただ、生存率はまぁあまり役に立たないなと。でも正直ね。ここ数年の12月は気分が沈みます。

その後どこから聞いたのかわかりませんが、『遠隔ヒーリング』屋さんに転職した元同僚に振り回されたりってのもありました。
ちなみに、何を差し置いても標準治療をやるのが基本だとわたしは考えてます。ヒーリングを先にやることはまずないです。そもそも「朝の6時に気を送るから5000円払って。口座番号これ。」って。何故か聞いたら、身を清めてから気を送るんだって。まだ、身体障害者手帳取得前です。医療証もない。貴重すぎる5000円ですよ。その5000円で病院1回行きますよ。当時、病室で大笑いしましたね。
プラシーボ効果程度はあるかもしんないけどさ。でも遠隔だとほんとにやってるかわからないし、複数同時もありでしょ?笑

妻ですが、乳癌タイプはまだ結果はわかりません。分かり次第、抗がん剤かはじまります。
義父母から「すまない」となぜか謝られました。そして「よろしく頼む。こっちも最大限動くから。」とお義父さんから話がありました。
わたしの膀胱がんのときの親の姿を見ている感じがして少し泣きそうになりました。

わたしの父と母には伝えました。
「次はお前が支える番だ」と。
ちなみに、わたしの腎臓の癌については伝えてません。今は伝えられない。さらに混乱しそうですし。
当然、支えますよ〜。

妻は、仕事について決断し管理職と話をしてきました。ひとつひとつ不安を潰すしかない。

ひとつひとつ
ひとつひとつ
ひとつひとつです。