私には右腿に大きな痣があった。

学校が変わる度、制服から体操着に着替える瞬間が本当に嫌で。。。

幼稚園の制服は超ミニなので、最初から見えていたから良い。

小学校の制服から体操着。

 

中、高は違う学校に進学。

一貫校なのに、高校から人数が一気に増える為、転校した位変わる。

 

体育の時間、冬のジャージから夏の体操着に衣替えされる時。

水泳教室もある。

最初はバンドエイド等貼って行くのが、毎回と言う訳には行かず

いつかその時はやって来るのだ。

 

同級生だけではなく、そういう機会は人生で何度かある訳だ。

しかもホクロの点々の集合体の下に大きい痣と言うなんとも気持ち悪い痣なんだ💦

ホクロの集合体からは毛が生えているので、剃る。

毎日剃るから剃刀負けして痒い。

 

だから短パンで隣の人にチクチク触る時があるんだ💦

触りたがる人にもチクチクがバレてほんっっっっとうに嫌だった。

 

小さい頃は慶応病院に行って組織採取し、悪性かどうか検査をした。

大泣きした記憶がある。

 

医師の祖父がたまに痣を目視。

24歳の時。

どんどん大きくなっている。

(そりゃ成長と共に皮膚も大きくなってただけなんだけどね)

痣に血管が出てきたら24時間以内に死んでしまう。

(多分皮膚がんの事を言っていると記憶)

すぐ従兄弟がたまたま形成外科の研修医だった病院に行く。

 

従兄弟の教授に見て頂く。

 

「これは単なる皮膚の奇形です。

女の子だし、せっかくこんなに遠くまで来たんだから

取っちゃいましょう。

やはり普通の皮膚よりは皮膚がんになる可能性は少し高くなるからね。

範囲が広いから、手術は2回に分けて行います😊」

 

その日に手術するのかと思ったら1か月後位に決まった。

 

従兄弟が怖くないように

Huey Lewis & The Newsのロックをガンガンにかけてくれた。

本当の手術室🥶🥶🥶🥶無影灯の手術台に横たわる。

部分麻酔なのが怖かった~。肉を切っている感覚がはっきり分かるから

後に全身筋肉痛だった。結構深く切っている感覚だ。

 

私が従兄弟の初めての手術だったんだって!

 

時間は1時間位だったろうか。無事終わり、また2か月後位、

傷が治って来た所で2度目の手術。

こちらの方がもうちょっと痛かった。

傷口をもう一度切る訳だから。

一応組織検査をして、無事癌じゃない事が確認出来た。

 

人生で初めて死を身近に感じた時期だった。

 

足の組織は斜めに皮膚の皴があるので、そこを分断して

真っ直ぐ切るので、30cm位の傷跡は目立つんだそうだ。

それでも形成外科だから細かく奇麗に縫ってくれるんだって。

 

医師の友人が見ると、かなり目立つ傷口だと思っていたが、

この執刀医は上手だと言ってくれた。

 

あれから25年。全く傷跡が分からなくなっている。

傷跡が目立たなくなるまで10年位掛かった。

それでも痣があるよりずーっと良かった。

こんなに何も気にしなくて良くなったんだから

もっと幼い内にしておきたかったが、

成長期に手術をすると、皮膚が成長して後に吊ってしまうと言う事で

タイミングを見ていたら成人も超えてしまい

きっかけが無ければなかなか踏み込めなかっただろう。

 

社会人になると強制的に足を出す機会が無くなるからこそ

交際する時、旅行に行く時、

見せる事を考えるとすっごく気が重たくなったに決まっている。

 

30代の時に付き合ってた男性が足に私より大きい痣があった人がいたが

彼もまた同じ悩みを抱えていたかな。

気にしない振りをして触れなかったが。

 

同級生で首に痣のある子がいた。

彼女の場合はレーザー治療が出来た。

(私の場合はホクロの集合体もあった為出来なかった)

薄くなったからこそキスマークに見えて、

色んな人に聞かれていたのを見て、

私は痣を物凄く気にしていたので、

彼女が傷ついていないかヒヤヒヤしたが

彼女は全く気にしていないとの事。

最初から見えてる人は羨ましいなと思った。

 

友達の娘の写真が小さい頃からSNSに載せていて

眉毛の所に大きな痣がある。

彼女は痣を隠す事なく、非常に天真爛漫に伸び伸び育っている。

人生を謳歌している。

気になるの私だけだったのかな。

 

ここまで人生の足枷になったのだから

手術してくれた従兄弟に心から感謝である。

 

たかだか全身のほんの1%位の範囲が痣なだけで

人よりかなり気が重くなった時間があった。

今ここに投稿するまで痣の存在を忘れていた。