こんにちは
昨日は師匠の家で、サプライズで私のお誕生日🎂をケーキでお祝いしていただきました
きゃーっ師匠の生菓子よ
なんという贅沢
可愛い子たちにお誕生日ソング歌ってもらって、ローソクもふーってさせてもらいました
大人でも、めっちゃ嬉しくて感激でした
↓弟と一緒に
素敵なプレゼント🎁も頂いて、心があったかくなりましたほんとに素敵な師匠です〜
さてさて、
星野源の本を、初めて読みました。
ミュージシャンであり、俳優であり、執筆活動もし、ガッキーをも射止め、私は彼を芸能界の「大谷翔平」(二刀流だからな)だと思っているのですが、こちらの本を読んで、まさかの「筆算もできん」「掛け算も最後の方は怪しい」「楽譜が読めない」「お腹が弱すぎていじめられてた」などの目ん玉飛び出すようなストーリーが軽やかに書かれていて、ますます好きになりました
↑もう買った🤭
色々心に残った良き本だったのですが、今回はタイトルにもある「生活」のことを
ある時、仕事場で倒れて運ばれた星野源が、母親であるヨーコちゃんからいわれた一言。
「あんた、生活が嫌いだからね。(生活を蔑ろにしてたから、倒れたんだよ)」
グサ。
うぉぉぉぉ・・・!そうそう、生活。生活よ!(学校の教科じゃないやつw)
結婚してこどもを育てるまで、社会的に、生活って「無いもの」とされてる気がしてました。
確かに存在してるはずなんだけど、「生活」の時間って、社会的に抹殺されてない?
「専業主婦の仕事は年収1千万に相当する」話が言われてたりするけど、働く主婦が「生活」に割く時間って、まじで無いものにしないと回らない設計に社会ってなってるよね?!って思ってました
昔の私は、その「ないはずの生活」に時間を割くのが嫌でたまらないタチでした。(今は、ちょっと考え方が変わってる。)
「ご飯とか、まじで作る時間も食べる時間も片付ける時間も無駄無駄無駄無駄ぁぁぁぁぁぁ(本読みたい本読みたい本読みたい)」ってなもんでした
いわんや掃除洗濯、細々とした名前のない家事諸々、大っ嫌い
なんでこんな「ないはずのもの」しなきゃならねぇんだヨォって思ってた。
だけど、こどもを持って考えが変わったんです。
諦めよう。生活は、確かにあるのだと。
そして、そこに手をかければ整う「何か」がある。
体調だったり、家の空気だったり、自分の気持ちだったり。
家を整えることは、決して些事ではない。
むしろ、禅の修行にも通じる、生きることの真髄がそこにある。
(実際、京都でバイトしてた時、修行僧の皆さんは「生活」を丁寧にするのが修行と言っても良いような生活をしていたように思う。)
腹を括って、生活を楽しもう。
生活に時間をかけることを、惜しまない人生に変えよう。
生活を通して、地に足をつけよう。
そんなことを、子育てを通して実践してきたように思うんです。
日中はおもちゃだらけでも、リビングの床は、とりあえず物が無い状態に整える。
食事の前は、テーブルから全てのものをどかして綺麗に拭く。
ダイニングテーブルの下、食べこぼしは毎回必ず箒とちりとりで綺麗にする。
タオルは、ちゃんと畳んで仕舞う。(畳まずに放り込んでることが多かったのよね)
水回りはこまめに掃除する。
ちゃんと食材を調達しておいて、ご飯を3食作る。
たまに気が乗ったら、スイーツを自分で作る。
「やだなぁ〜」とか「今日は無理ぃぃ〜」「なんで私が」って思うことも多々あったけど、だんだんいい塩梅で、最低限はできるようになってきた。(できない日もあるけど)


↑ブロ友のみおさん(♡)おすすめのこちらで、たくさん作ってる
整った生活ができている時の自分が好きだし、家族も「ケアされてます」っていう柔らかい膜が施される気がしてる。
私が家族から必要とされていることって、『知育』とか『何かできるようにすること』っていう枝葉じゃくて、本来は、土を耕し根付かせる方。
まさに、生活を整えることなんだよな、とも思う。
この「生活」の力ってバカにできないぞと悟ったタイミングで、星野源のお母さんの言葉に出会えたのは、すごくよかったなぁと思いました。
来年度は仕事にも復帰しますが、「生活はある。そこに時間をかけることは、私の人生修行に必要である」と心が深く頷いているので、そのように過ごしてみようと思っています。