最近、実母が実母ってます(伝わるかな)
おぉ…ATフィールド全開だぜ
(あ、やっぱ梅雨だから御乱心するみたいに?実母も実母らしく?ありのままの姿で?みたいな?)
詳細はもう、バカバカしくて記す気にもならんのですが、ここでしみじみ…子どもが親に求めることの本質について、考えちゃいました。
…
きっかけは、ダビデに今回の実母の色々の愚痴を聞いてもらってたときのことです。
『じゃあさ、りんごは、実母がどんな風だったらよかったのになって思うの?』
🍎『うむ。まずは、突然自分の感情に任せて手のひら返してきたり、突然拗らせた甘え方して『自分をわかってほしい』攻撃してこないでほしい。ほんと困る。』
『それをさ、自分も、兄たちにも実践してやればいいんじゃない?それこそが、こどもが親に求めてることなんじゃないか。』
グサーーッッッ
はい。
つまり、こどもはさ、親に常に『安定して』いてほしいんですよ。それを通常モードと気狂いモードで突然振り回されるのが、私はほんとにほんとに嫌だったの、これまでの人生
でも私も、同じことやってる
とつぜんスイッチ切れて、『もうおしまいだよォォォォ(タブレット取り上げ)』とか『もう疲れたから、お願いだから寝かせてくれぇぇぇ』とか『ピアノなんかやめちまえぇぇ』(黒歴史)とか言っちゃってる気狂いモード機能、ついてる(遺伝?環境?え、両方かな私ってば気狂いモードのサラブレッド🐎✨)
🍎『あとは、あのゲスいところが、ほんとに辛い。。人間的に尊敬できる母親でいてほしい』
詳細省きますが、何かにつけて、発想がセコくてゲスいんですよねそれをまともに発言してる姿をみるのが、娘としてほんとに辛い(なんでも金銭換算するとことか、全て否定から入るとことか、自分より『恵まれてる』と思った人への攻撃性の高さとか)
『そうな。りんごの人生最大の試練は、それでもそういう母親を、自分を産んで育ててくれたということ、その一点で感謝して尊ばないと、(母親は自分の元であるから)自分自身を否定してるのと同じことだから、苦しみから解放されることがないとこだよね。ほんと、君、大変だね。』
🍎『そうなんだよ親が、学歴が高いとか、お金持ちとか、顔がいいとか、そういうの、全然本質じゃなくない?ただ、メンタルが安定していて信頼できて、人として尊敬できたら、こどもはそっちのが断然幸せだよね。』
実母は、今後も普通に食っていくのには困らない程度にはお金持ちだし(老後にビジネスクラスで何十回も海外行ってるしさ)、学校の先生もしてたから、あの時代の女性にしては学歴だってそこそこあるんだけど、でも、娘である私にとって、そこってどーでもいい(むしろ、実父が先に死んだらぜったい遺産を放棄して私に回せ、そうじゃきゃウンヌンカンヌンと毎度脅される。謎。)
街のたこ焼き屋さんとか、日雇い工場勤務のお母さんとかで全然いいから、お母さんがいつも安定してて、信頼して尊敬できる人間性をもってる方が断然よかったよ…。
そんなことを思って、私、こどもたちに尊敬されるような人間かなって思い返したんです。。
で、ふと思い出した出来事が2つありました。
一つ目は、我々、休日にドライブでほそ〜い山道を頂上に向かって走っていたら、曲がり角曲がろうとしたら、上から猛スピードのマウンテンバイクが走ってきて、ぶつかってね
細い道すぎて避けようがなかったこと、こちらはスピードもノロノロしてたんだけど、マウンテンバイクは下り坂だからかなりスピードが出てしまっていたこともあって、ぶつかったときに、相手が見事に吹っ飛んだんだよねおったまげました
突然の出来事で、運転してたダビデは動転して固まってたんだけど、私は助手席から飛び出して、思わずマウンテンバイクのおじさんのとこ行ったんだよ。
『大丈夫ですかーッッ!!』って言ったら、案外おじさんは慣れっこみたいで(はぇぇ)すぐにケロッと起き上がりましたはー、、よかった
そこから、おじさんはへっちゃらで、自力で麓の警察に行き、なんとそこで、彼は現職の警察官👮♀️だったことも判明し(プロやん)、現場確認のときはパトカー🚔に乗って現場に行ったんだけど、『あのパトカーには警察官しかいないってことかぁ…なんかすごいわ…』と感慨深い気持ちになり…と、まぁこの辺はどうでもいいんだけど、とりあえず事故になることもなく、お互いに保険使うとか減点とかもなく、終わりました。共に、仕方なかったですねーで終わったという。
でも、実母だったらどうかなって私は思っちゃったんですよね。
以前、実母は私の友人の車に突っ込んで(友人は、全く動いてない状態で、実母が勝手に突っ込んだ)事故したんですよ。
そのとき、私に『あんなちょっとぶつけただけで、もし人身事故なんかにしたら、抗議して訴えてやる絶対させるな』って激おこしてきたんですよ。(別に結果的に人身事故にもならなかった)
自分がぶつけといて…反省ゼロどころかね…(わかります?このゲスさが、私辛いの。)
たぶん今回の私のケースだったら、ぶつかってきた人を、実母はとっさに助けに行けたかな?と思うと甚だ疑問です。たぶん、『こっちは悪くないあっちが勝手に山から降ってきて勝手に…あーだこーだ』ワーワー車の中でやって、自分たちの正当性を喚き散らすか、運転していた父を罵倒するかしてただろうな。倒れた人のことなんか考えなかっただろうなって想像がつくんですよね。
もし、その実母のあさましい姿を『幼かった私』が見ていたとしたら、私はすごく、傷ついたと思う。(いや、実際、私は大人だったけど、友人との事故の時に、実母のあまりのあさましさに傷ついたんですよ。)もしくは、私のような天邪鬼なこどもじゃなかったら、そのままそっくり、実母のようか反応をする大人になってしまったかもしれない。
とすると、『こんなことって大人として当たり前でしょ』って思えるようなことだけど、急なアクシデントにおけるとっさの判断って、ほんとに人間性が現れるとき。ここで、私はこどもたちに、『当たり前の大人の姿』を背中で見せることができたことは、私、母としていちばん大切なことをしたよなって、思うんです。
それは、私は実母からは貰えなかったものだけど、私は、こどもたちに一番あげたいものなんだと思いました。
もう一つは、先週、自転車で魚取りにいった帰り道のことです。
私たちが道を走っていたら、トイプードルが歩道を1匹で歩いていたんですどう考えても、逃げ出した様子丸出しの、かわいい犬で。
目の前は大きな国道。とっさに私は電動自転車を止めて、犬を捕まえてね。とりあえずほっとしたんだけど、どこの犬がわからず
その辺は顔見知りの人がいるようなエリアでもなかったから、兄と一緒に一軒ずつ聞いて回って、飼い主さんを見つけたの汗だくだし、ちびっこ2人は怖くて泣き出すし、飼い主さんが見つかるか不安でほんとに肝を冷やしたんだけど、結果的にちゃんと犬を助けることができたんです。
クタクタになって帰宅してね、弟が『怖かったよぉぉぉもうやだよぉ』っていつまでも泣いてるから、私が『はいはい悪かったね』って言ったら、兄が『お母さん、いいことしたんだよ。これからも、助けてあげてね。』って言ってくれてさ
超大変だったけど、人として大切なことを兄に伝えられた気がしました。
…
一つ一つのことは、それぞれ小さな出来事なんだけど、私は、子育てはこれがいちばん大切なことだよなって思ってます。
いつやってくるかわからない、不意なアクシデント、負の出来事。ここに、どうやって真心尽くして誠意を尽くすか、とっさに人として最善の行いを重ねていくか。
こういうときに見せる親の背中を、これからも磨いていきたいです。
そしていつか私自身は、安定していて、信頼される、人として尊敬してもらえる母になれるように精進していきたいなと思います