こんにちはにっこり


最近、兄の夕方のワークを止めました。



ここのところ、闇堕ちしてたんです


弟は、ずーっと家で隙あらば『タブレットタブレット』と雄叫びを上げ…兄は兄で、学校から帰ってきたらタブレットタブレットで、YouTubeのマイクラのゲーム解説動画にどっぷり浸かり、常に兄弟のどちらかはタブレットを観てる状態が続いていました。(や、きっと今日も続くんですが!)


弟と妹を抱えて、日中頑張って外出させても、それでも家にいる時間は、ご飯すらほっぽり出してタブレットを欲しがる弟ネガティブ

トータルしたら、毎日5時間はかじりついていると思いますオエー心理的おしゃぶりと化しています。


あれだけ自主保育とか外遊びを頑張ってきたはずなのに、気づけば我が子たちはNetflixとYouTubeがあればどこでも生きてける子どもに育ってしまいましたよ魂が抜ける


アナログな遊びになんとか誘っても、ものの10分で『タブレット』と言って泣き出すネガティブ

結局、言いなりになってタブレットを見せちゃう私もあかんのかもしれませんが。


こんなことなら、保育園に預けてるほうがよほど健全で良い子に育つし、2歳児が、遊ぶ友達もなくひとりで家にいたらそりゃこうもなるわな…げっそり…となってました煽り


0歳のひなには悪いけど、今年復帰しとけばよかったかなぁと、自分に自信をなくしていますタラー離乳食も、私よりずっとまともに保育園のがやってくれたと思う泣き笑い

でもでも、一歳まではひなも手元で見ようと決めたら、芋蔓式に弟も家にいることになってしまう赤ちゃん泣きああ辛い、夏休みがマジで恐怖ゲローゲローゲロー


動画が一概に悪ってわけではないと、私だって思ってるんだけど、でもでも、一日中聴きたくもない騒がしい音が止まないのは私もストレスびっくりマーク

このへんのバランスを上手に取っていけるようになりたいです…まぁしかし、とにかく親子共にただただ『ヒマ』なのが良くないってことですね爆笑!!

ヒマだとろくなことがないから、ほんと働こ…ダッシュ(そして、保育園行こダッシュ


笑い泣き


はい、そんな日常を送っている私ですが、このたび兄のワークから一歩手を引きました。(それでも、一歩だけなのが、私の心の黒い部分なんですけどね。)


『私が』安心したいがために、こどもの大切な時間を奪うのは、必要最低限でやめようって決めました。


河合隼雄先生がね、『こどもの家庭学習の習慣付けは家庭の役割』と言ってらしたことは、それはそうなんです。

だけど、小学校からわりと疲弊した面持ちで『疲れてる』と思われる表情で帰ってきた兄に、『ほら習い事(ピアノ、英語、書き方)だ、ほらワークもあるぞ、あれやれこれやれ』言う私のあさましさですよネガティブ習い事は、一応本人がやると言ったものをやっているけれど、それも逐次見直しながらやっていくべしですねダッシュ


結局、小学一年生の『いま』に必要十分なインフラだけ整備して、あとは本人が『やりたい』と思っていることを応援すればいいだけなのに、むくむくと、母親の己の欲で、『あれも、これも』と押し付けて、彼の時間を奪ってるんですよ。

わかっていても、『自分が安心したい』から、やめらさせられなくて、当然でしょって顔して勉強させるんです。そんなの、本人にとってなんの意味があるんだろうって、はたと気づいてしまいましたオエー

いつか勉強をやりたい、面白い世界がここにあるなと知るときが来ることを祈りながら、今わたしが闇雲にドリルをガリガリやらせるのはやめようって思います。手を引く!!それで、その時間が動画視聴に充てられたとしても、これ以上彼の人生の時間を奪わないぞと心に決めました。

(そもそも、動画廃人なのは弟であって、兄はまだ学校にも行ってて、時間が限られてるもんね。それなのに、私がやいのやいの取り締まるのは、私がヒマだからなんだな!)


いまは、朝にマイクラの算数ドリルと国語のドリル、英語と書き方の宿題をやったら、帰宅後は学校の宿題があればやるだけ、というシステムに替えました


つまるところ、私は、兄が、自分がやりたいことがよくわからない、与えられたことしかできない弱い人間になってほしくないんです。


私ってすごく管理しちゃう支配的な母親なのでね(しかも今から働いてないから、エネルギーが全部家庭に集結してる)、この『支配』のせいで、彼の大切な生命力とか、直感力が、小学校に入ってからすり減ってしまってる気がしたんです。

(私は、自分が生きている中で、かなり直感に助けられてきました。だから、それは目には見えないんだけど、大切だと思ってる)


生きるうえで本当に大切なのって、学校の勉強がちょっとできることより、生命力や直感力の方だと私は思うんです。


これを、親が削ってどうするよびっくりマークびっくりマーク


ってなってます。


ここからどうなっていくかわからないけれど、小学生になった息子に対して、私がやることは、『気分をのせて』ワークをもっともっとやらせることではないなとはたと立ち止まっているところです。