私は、新卒で入った会社を辞めて、現在の会社に勤めるまでの間を半年間空けて、小学校の常勤講師をしたことがあります。


私はもともと、学校の先生になるのが夢でした。

両親も教師だし、曽祖母も明治の女学校の先生をしてました。

魔女の宅急便のキキ風にいうと、『教師の血が流れてる』と思って生きてきたので、一度チャレンジしてみたかったんです。


免許自体は、高校と小学校をもっていたので、どちらになるかわかりませんでしたが、結果的に小学校の先生の話が来たので、私は2年生のこどもたちの担任を半年間勤めることになったのでした。


この経験は、私の子育ての原点になっているように思います。


もちろん、あの頃わからなかったこと、できなかった対応が、今ならわかるし、できるなぁなんて思うこともたくさん。

こどもというものがどういうものなのかもよく分からず、あの頃は若くて、子どもを産んだことも育てたこともない状態で関わっていたので、だからこそよかった面と、深められなかった面があったよなぁと今は思います。

あの『何も知らない若さ、明るさ』って、あの頃にしかないものだったなって思う。あれはあれで、子どもたちと関わる上で、尊いものだったんだなって、今はもう失くしたもののことを思ったりもします。



今でも思い出す子たち。


『冬休みの思い出』が、ローソンで唐揚げを買ってもらったことだった男の子。

彼は、小さなおんぼろアパートに、家族8人で住んでいました。


お母さんの仕事の都合で、保育園や幼稚園に一度も通うことなく、連れ回された先でぽつんと1人で過ごしてきた男の子。社交性がなく、攻撃的で、でも心許した先生にだけは、母親かのように甘えていました。


お母さんが出て行ってしまって(他のオトコと逃げた)、お父さんとふたり暮らしの女の子。


毎日洋服が洗ってもらえない女の子。


血の繋がらない新しいお母さんと、実のお父さんよりも絆を深めている男の子。


毎週、離婚して離れて暮らしてるお父さんと、土曜日にカラオケに行く男の子。


1クラス関わるだけでも、これだけいろんなバックグラウンドを持った子どもたちがいました。


みんないろいろ抱えながらも、学校では明るく(問題児でもあったりしたけど)あっけらかんと過ごしてる子どもたち。


問題を抱えてるのは生徒たちだけじゃなくて、変な先生もいたし…泣き笑い(怒りに震えるほど嫌いなヤツがいましたよ…)


ほんと、小学校ってこういう場所だよなって改めて感じた体験でした。

自分が小学生だったときは、ひとりひとりのバックグラウンドを細かく知ることはなかったけれど…なんとなく、空気や感じでわかることがあって、それをまさに如実に見せてもらったなぁと思います。


私は若かったあの頃、こう思ってこどもたちと接してました。


『後で思い返したときに、小学校ってあったかかったな、楽しかったなと思えますように』ってね。


ここにいる子どもたち、みんながみんな、幸せな大学生ライフが送れて、幸せな結婚ができて、お給料の良い仕事に就けて…なんてこと、ありえない。


でも、この義務教育の間だけは、この子たちは守られてる。おいしい給食を食べて、みんなで楽しく活動して、いろんな子と対等に関わることを。


それが、幸せな時間だと思えない時間にすることだけは、やめたいって思ってやってました。


いつか彼らが大人にって辛いときがあっても、温かい思い出に胸をあっためる日が来ますようにって。


それは、今の私の子育ての原点にもなってるような気がします。



最近、公園でよく関わる『放置子』の女の子たちがいます。


なんというか、その子たちが纏ってる、『共通の空気』があるんです。

儚さ、危うさ、健気さ、攻撃性…

でもね、一言でいえば『誰でもいいから、誰か私を愛してほしい』に尽きるんだろうなって、ほろりと思います。

洋服一つから、乗ってくる自転車から、髪型から、切ない思いが漂ってくる。胸がぎゅっとする。

私では、その穴を埋めることは決してできないんだけど、その場限りの、できる限りの仮初めの愛を注ぐことにしています。

みんなと、可愛い可愛いして、ぎゅーってハグしてます。


先生をするなかで、もちろん、心温まる経験やこどもたちとの楽しい時間も沢山ありました。

その全部ひっくるめて、これほど喜怒哀楽を引き出される職業は他にないよなぁと思います。

いろんな感情に晒されたし、人生トータルでみたら、素晴らしい半年間を過ごすことができたなぁと思っています


これから、兄の小学校で出会う子どもたち。


きっといろいろあるだろうなと思うけれど、私は小学校の現場を体験したことがある。きっと、親としての力になると信じていますキラキラ