私の母は

私を褒めてくれたことがない

私を赤ちゃんの時以外で抱きしめてくれた事がない

私を認めてくれた事がない

私の意見を聞いてくれた事がない


いつもダメ出し

いつも叱られ

いつも全てを決められた


夢の中でもそれは同じだった

いつも何かを叫んで涙を流して目が覚める

そして

最近の夢では

母は姿を見せても

無表情で黙っている事が多かった


今朝方の夢に出てきた母は

いつもとは違った


新学期の準備ができていなかった私が

慌てて教科書などを準備していた時

体操服にゼッケンをつけていないことに気づいた


青ざめ

フリーズした私

もう 休もうか

遅刻は確定だわ


そこに母の影


あぁ 叱られる

何をさせてもできんなぁとダメ出しされる


萎縮した私

まだ叱られてもいないのに悲しい


母の声のトーンがいつもと違った

ゼッケンもってこられぇ

つけてあげるから、、、

穏やかだった

叱られも見放されもしなかった


心が温かくなって目が覚めたら

いつもとは違う理由で

涙が出ていた



人生を振り返った時

残念な事が多く思える

そして現在の生活でも

不安 不満 たくさんあって

時々折れてしまいそうになるけど

今朝は

まだ頑張れるような気持ちで

カーテンを開けたよ

昨日の仕事の愚痴

介護施設の利用者さんの中に
小難しいおじいさんが1人いる

ご飯の量に文句ばかり

自分が好きなおかずかどうかで
ご飯の量がかわる

要らなきゃ残せばいいのに
それに一言余分をつける

わしゃこんな大食いじゃねぇんじゃ

看護師さんも
あの人は女の人くらいしか食べないよ
と言った


昨日の夕食は
女の人より少しだけ多め くらいに
ご飯をつけた

そうしたら
私が他の階に配膳をしに行ってる間に
そのおじいさんは看護師に
ご飯のおかわりを頼んだらしい
余分な一言を添えて

わしゃ嫌われとんかなぁ

なにより
そのことを伝える看護師が
ドヤ顔なのが腹立つ

結局
主菜は手付かずで残し
看護師が梅干しを入れたおにぎりを
作ってあげていた

おかずを食べるよう
すすめもしないで
おかずあっての
このご飯の量だろ
おかず食べなきゃ
腹が起きるわけない

明日の休日
昼ごはん時期に
他の職員がそのじぃさんのご飯を
どれくらいついでいるのか
見に行って写メってやろうと思う

こうなりゃこっちも意地だ
負けんぞ

最近は

健康志向で買い物には徒歩ででかける

片道2200歩

店内をウロウロして帰ったらほぼほぼ5000歩

なかなかいい感じ


でも先日はやらかしてしまった

キャベツ バナナ レタス トマト

ピーマン 茄子 にんじん

ちょっと重くなりそうだなぁ


チラッとみた米売り場

地元産の単一米が少し安くなってた

ラスト一袋

買うしかない!


あぁ徒歩だ、、、

牛乳とジャガイモはあきらめた

米は5kgだけど野菜も地味に重い

さすがに米袋をベビーのように抱っこして

歩いてみたけれど 落として破れたら終わる

エコバッグの底に入れ

二枚のエコバッグに買い物はなんとか入った

両腕がルフィのように伸びてしまうかと

思いながら ヨタヨタと帰宅した


そして今日

心して 徒歩で買い物に出かけた

今日はちょっと肉を買うだけ、、、と


入店

今日は野菜は見ない

肉売り場に直行

ミンチ 鶏肉 豚コマ 牛肉も切り落としで!


んんん?

地元高原産直の鶏ムネ肉と鶏モモ肉のパック!

これ探してたんよ〜

カゴの中の鶏肉を返して

ムネ肉モモ肉のパックをカゴに入れた

結構大容量だなぁ

ありゃ 一袋2kgだ


でも今日は牛乳も欲しい

ポッカレモンもみりんも欲しい


やばい

この前と一緒だ


こんなことなら車で来ればよかった


肉だけでも6kg近く買ってる

またまた総重量10kg超えかぁ

仕方ない

学習しなかったのだから体力勝負


エコバッグ二袋に

腕を引きちぎられそうになりながら

ヨタヨタ2200歩 歩いたのでした


汗で流れた化粧がしみただけよ

泣いてなんかないよ



ハローワークの紹介で

介護施設の厨房業務に応募した

 

調理はない

調理された料理を盛り付けるだけ

 

6時間の週4勤務

 

最低賃金だけど

家から徒歩15分

 

ほぼほぼ一年働かずに過ごした

ダルダルな生活から始める第一歩には

最適だと思い応募

 

翌日すぐに面接 職場見学

面接最中に採用決定

 

翌日から勤務

応募結果報告にハローワークに帰りに寄ると伝えたら

社長がハローワークまで車で送ってくれ

手続き完了

 

やはり最低賃金では

いまどき 応募がないようで

近づいた私は

すぐに釣り上げられたということらしい

 

作業はかんたん

ご飯を炊いて

調理済みの料理を盛り付けるだけ

そして食後の洗い物

 

最低賃金のはずだわ

今の私にはありがたい仕事

 

ゆっくり体をならしながら

社会復帰しよう。。。

 

しかし

はからずも

事態は急加速して

社会復帰完了へと突入することとなる

 

試用期間は2か月

本社厨房の管理栄養士が1週間教えてくれて

つまり 4日間一緒に作業して

じゃ一人でやってね って

ハードやねぇ

 

でもそれで燃えるのが私

何とかこなしていたら

施設内 不穏な空気

 

10時~17時の6時間勤務の前後1時間ずつ

つまり9時~10時と17時~18時

厨房の人間が不在の時間の厨房業務を介護士がするということで

介護士たちが困っているとのこと

 

しらねぇよ~

そういう募集内容だったんだから

それに時間増やしたら無駄に社会保険発生するし

そもそも 体がもつか 自信もない

せめて半年 6時間でいきたいな~と思っていたけれど

実際に 最低賃金で6時間週4では傷病手当より少ない

 

まだ試用期間だというのに

2か月目から契約変更

週4は譲らない

9時~18時の8時間勤務

1日2時間も増えた

社保を引いたら 働く意欲がそがれるくらいにしか

手取は増えない

それを嘆いていたら 時給を10円UPしてくれた

 

10円かぁ~と思ったけれど

最低賃金でも十分だ と思って応募した

あの謙虚さを思い出して

ありがたくお勤めさせてもらっている

 

そしてその月に

施設内で刑事事件が起き 1人懲戒解雇

その被害者で 私の師匠の管理栄養士が 退職希望

施設内管理で意見がくいちがい介護士1人 退職希望

 

どういうことなの

 

社会問題となっているけれど

やはり介護施設は人手不足がはなはだしい

と実感する今日この頃

 

今日は胃カメラをして

過去にピロリ菌を駆除したことがある胃には見えないほど

きれいな胃だと見せつけられ

主治医の太鼓判 胃がんにはならないでしょう!

 

私も職場にいる方々のように

100歳まで生きてしまうのか。。。と

うれしいような

悲しいような

 

そんな2025年6月10日があと3時間で終わり

また明日は将来の私に食事を提供するため

とぼとぼと歩いて通勤する

 

 

 

 

 

3男は

26日 誕生日の夜

自室に引きこもった時

自✕の予行練習をしたらしい

 

これには

その日同じ屋根の下にいた私と次男は

衝撃を受けた

 

ビールを買って

肉を買って

喜んでくれると思って食事したけど

3男にとっては

誕生日とは人生を終わるいいキリだと考えたようだ

 

でも私は

一緒に暮らしていても

気づかなかった

 

自分を責めた

親のくせに 気づかないなんて

職場の人間関係に疲弊していたのは聞いていた

でも 生きていてくれることを幸せに思っている人間がいるのに

自分を消してしまおうとするとは。。。

そんなに苦しんでいたんだね

私は無力だった

 

退院後の3男の病状も

夏が来た頃 再度めちゃくちゃ後退した

いとおしくて かわいくて仕方ない毎日が続いた

 

薬の調整により

冬が近づいたころ すこし回復したようだった

 

傷病手当での生活に限界を感じていた私は

思い切って年明けから就活しようと考えた

 

不安はあった

また私がいない間になにかあったら。。。

 

いけないことだけど

3男が入院した時に部屋に残っていた薬と

私が処方されて余った薬をすべて集めて

不幸があれば

すぐに後が追えるよう準備した

どうしても止められなくて不幸が訪れたら

泣かなくていい

その横で これを飲めばいいんだから

 

と 決心したら

気持ちが落ち着いた

 

今回の件で

はっきりしたのは

3男はASDであるということ

 

大学を出て就職したときに発症した

自律神経失調症からの鬱病への悪化は

ASDの二次障害だったということ

 

今は

私の干渉をすべて過保護・過干渉といい

絡まないで欲しいという

同居していること自体が気が休まらないようなので

私としては すごく不自然な生活をしている

 

でも 3男が生きているだけで

この世に存在しているだけで

私は満足

 

たまに話をしてくれるだけで

同じ屋根の下に

自分らしくいてくれるだけで

十分満足なんだ

 

そして2025年2月

62歳の私は

介護施設の厨房業務に就職した

 

 

3男が入院した日は

仕事を休ませてもらった

 

3男が勤めていた職場に

連絡して 休職させてもらうことにした

 

長女と次男が

自宅で一人にならないで

長女の家に泊まるよう言った

 

翌日

出勤した

あとひと月で退職

 

仕事は

自動車の運転のように

頭ではなく 体が動くようなことしかできず

平常心を装うのがやっとだった

 

もちろん

3男が自✕未遂したなどと

伝えるはずない

無難に 今まで通り

問題なく退職

それは なんの意地か プライドなのか

 

長女の家に帰宅

3人の孫が気を紛らせてくれる

でも頭はからっぽ

 

次の日も仕事に行った

抜け殻が出勤した

 

でも それで終わりだった

 

長女が病院を手配し

私も患者となった

 

あとひと月切ったけど

会社に休職の届を出した

 

3月31日

予定通り 契約満了で退職

 

傷病手当をもらいながら

3男の退院を待った

 

 

2月26日

その日は3男の誕生日

次男を呼んで

自宅で3人で焼肉で祝った

 

いつも通り

食べるだけ食べたら

3男は自室に引きこもった

その後22時頃まで次男と一緒に

YouTubeを見た

次男は帰り 私は眠った

 

翌日 仕事

契約満了退職を申し出た後なので

心身ともに少々の無理が利く状態

でも この日の夕食に何を作ったか

3男が食べたか 覚えていない

 

その翌日 28日も仕事

ヘロヘロになって帰宅し

玄関のカギを開けた時

いつもは閉まっているはずの3男の部屋のドアが

開いているのか 灯りが漏れていた

ちょっと変だなとは思ったが

メルカリの梱包でもしてるのかな と

急いでキッチンに入り夕食を作った

麻婆豆腐丼を作ったのは覚えている

出来上がって 3男にラインをしようと

スマホを手にしたと同時に電話が入った

 

電話に出ると

 

「○○さんの電話ですか? こちら**警察署ですが

%&さん 息子さんですよね?」

と3男の名前を言う

「%&さん 家にいますか?」 って聞いてくる

 

「電気がついているのでいるとは思いますが

仕事から帰ってから顔は見ていないです

なんでしょうか」と私

 

「%&さんの友達から連絡があって

電話の様子が変だったから自✕するんじゃないかと心配している

ということなんです

お母さん すぐ確認してください

電話は切らないで このままで」

と言われびっくり仰天

キッチンから玄関に出て

灯りが漏れ映っていた離れに続くガラス戸を開けた

 

思った通り3男の部屋のドアは開いて

暖房の暖かい空気が流れ出てきた

私はそのまま突入してベッドに横たわっている3男に駆け寄った

 

3男の頬をぺたぺた叩いた

生きてる

警察にも 息をしていますか?とか聞かれたような気もする

名前を呼びながら頬を叩いた

 

あぁぁ お母さん。。。兄ちゃんがくれたこの電気毛布

あったかいよ。。。

 

その首には荷造りヒモが3重に巻かれていた

急いでハサミを探し それを切った

処方されていた睡眠薬か抗うつ剤をたくさん飲んで

首を吊ろうとしたようだ

 

電話の向こうで警察が

「そろそろ警察がつくのでいったん電話を切って

119番で救急車を呼んでください」といった

 

救急車が来る前に警察がきて

息子の様子や部屋を写真を撮り

遺書を書いたノートを発見して

私に手渡した

 

気の小さな

小さな小さな文字で書かれた遺書だった

 

救急車が来て

息子は搬送された

私も同乗した

 

警察は 長女にも連絡したようで

長女と 長女から知らされた次男からも連絡が来た

 

救急車の中で朦朧とした3男の

首のヒモの痕を見た

涙も出なかった

 

なんで?なんで?なんで?なんで?

 

頭痛のような

めまいのような

 

別世界をさまよっているような感覚だった

 

日付が変わるころ

3男は入院した

 

定年再雇用で働いていたけれど

慣れない業務に体がついていかず

転職に駒を進めていた

転職先とWワークしながら試用期間がおわりかけ

本気で会社に退職願を提出した夜

定年前にいた部署のリーダーから電話が来た

引き止め というより どちらかというと

本当に辞めるの?というような確認の電話だったけれど

転職先の環境に違和感を持っていたので

都合よく 引き止め と取り

人事が提案してきていた異動を受けることにした

そのリーダーの部署への異動で

入社時の部署に戻る話だった

 

退職願の撤回 転職先への辞退 と方向転換した

 

季節外れの人事異動で

古巣の部署に2年半ぶりに戻った

以前と違っていたのは その勤務地

公共交通機関利用で DOOR TO DOOR 片道2時間

半年がんばった

今度は 体だけでなく 心もついていかなくなった

 

夏の疲れが出 秋の物憂げな季節に心もすさみ

冬が来て決心した

 

年明けから 再度 転職活動に入った

今度は 地元で

通勤時間が短いところで と

 

なかなか思うところはなかったが

もう心身ともに限界だったから

再雇用契約更新の一か月以上前に

上司と人事に契約満了を希望することを伝えた

 

ほっとした

後は有休消化を含め 消化試合のような安堵感

 

そんな2月の末に

私の天地がひっくり返った

 

 

 

 

去年の12月から

家計簿兼一言日記みたいなのをつけていて

先日 それを見直したら

とても懐かしく

たった半年なのに

 

ってことで

以前 若かりし頃の日記を

このブログに一気にアップしたように

ブログにあげていこう!って思いました

 

とりかかっては見たのですが

なんかちがうんよね

 

やっぱり

一言日記は

紙ベースがしっくりくる。。。

ということで

アップしている途中でしたが

やめました

 

この夏

いろいろあって

私の生活は

最後にアップしたブログ

6月15日の「区切り」からは

180度真逆の展開をしております

 

その件は

また次回に。。。

 

 

提出しました、、、


退職願