Diosとはスペイン語で神様のことをいう。
神様と言ってもキリストやイスラムは神様は1人だ。人ではないから「人(にん)」という単位は変だが、とりあえずこう書いておく。そして、そもそも数えられない。だから冠詞もない。一神教だ。
しかし、日本最初の歴史書「古事記」には沢山の神様が出てくる。だから数え方がある。単位は「柱(柱)」だ。
キリスト教などとは異なり多神教である。
その神々はのちの天皇らしい。
人間の形になって現れた。
大抵の欧米の人々はどこかの宗教に属する。
しかし、日本人は無宗教の人が7割くらいいるらしい。
そして信仰している宗教がある人から見れば、無宗教の人に違和感を持つらしい。
え、何信じて生きてるの?決断してるの?って感じで。
言われてみれば、全て自分の聞いたもの見たのもので判断してるのは怖いのか。
この感覚は日本人には掴みづらい。
そして、無宗教の人が多いとどうなるかって言うと、人間の間で上下関係が生まれる。
しかし、神様がいれば、「神のもとに皆平等」だから人間間で上下はなくなる。
これが日本語の敬語や謙譲語に表れるのだと思う。
諸外国のに敬語がないのは当たり前だ。
皆平等だから。
しかし、丁寧語はある。
丁寧語は横の距離感を表す。
スペイン語だとTú(君は)とUsted(あなたは)がある。
両方とも二人称だが、上下関係ではなく距離の違いだ。
もちろん役職で上下はあると思うが、そこまで関係ない。言いたいことはお互いに言い合う。
この関係性がフットボールの発展にも関係している。
理論的に見て良いモノではなく、上司が言ったからこの意見が採用なんて場面があると思う。
これはサッカー界に限った話ではない。
あらゆる業界や職場でもあると思う。
今すぐ日本社会で上下なく言い合える環境を作るのは難しいが、そう言ったことを知ってるだけで、フラットな目で見ることが出来ると思う。
だって同じ人間だから。
でも、周り変えるの難しいからまず自分からってスタンスでいきましょう。
『タク、お前はみんなのお手本だぜ!もうここは君の家だ。』
って言うのを人種差別もなく最終日に言える環境いいよね。
※これは宗教の良し悪しの話ではなく、宗教が言語や人間関係に及ぼす影響の話である。

