そもそも我々がスポーツをやる理由は健康のためだったり、自分が楽しむためである。
しかし、そのベクトルが外に向く時がある。
それはプロ(仕事)になった時だ。
ベクトルが外というのは、エンターテイメントになるということだ。
お客さんに元気や勇気を与える事も視野に入る。
では、「指導者」は具体的にどこにベクトルを向ければいいのか。
フットボールの主役は選手である。
指導者がお客さんの目に直接写ることはまずない。
だから我々、指導者たちは選手たちにエンターテイメントを届けなればならない。
それが回り回ってお客さんの目に届く。
「子は親に似る」とよく言うが、「選手は指導者に似る」ってどこかで聞いたことがある。
試合中に使う言葉や思想も指導者に似てくる。
指導者そのモノを写したのが選手である。
だから、1人の人間として、我々はサッカーも人生も本質を突き詰めなければならない。
よく試合とかで汚い言葉で選手を責めたり、罵ってる監督がいるが、まだ頭が柔らかい小中高生の選手は自然とこれがサッカーなんだって埋め込まれる。
指導者の「導」って、よく「さきに立って手引きする。案内する。みちびく。おしえる。」って言われるけど、もう一つ意味があって「火や電気をつたえる。」
本来の意味は1つ目だけど、2つ目の方が大事な気がする。
2つ目の方は寄り添ってる感じがあるし選手の芯に影響を与えようとしてる。
その寄り添う側(指導者)が熱ければ選手は熱くなるし、冷めてたら冷める。
選手は中身、指導者が容器。
熱々のまま保温できる指導者が最高の指導者。
この人の練習面白い!一緒にサッカーしたい!って思ってくれたらそれが指導者としてのエンターテイメントが選手に提供できてるのかもしれない。
どれだけ選手に寄り添えるかの「寄り添い力」が指導者は問われるも思う。

