2002年の日本初演から19年目の「モーツァルト!」

いっくんにとっては2010年から11年目で4回目。

過去上演時より逞しく、さらに奔放になり、自由を追求するいっくん(山崎育三郎くん)ヴォルフガング。

 

今回、私に一番刺さった場面が従来と少し違ったので、印象を残しておきます。

 

2010年、2014年、2018年の育ヴォルフガングで一番、心に残ったのはパパに「お前の顔など二度と見たくはない」と言われた後の「なぜ愛せないの」でした。

天才と呼ばれ、難しい曲を書くのも、皇帝陛下の前で演奏と言う名誉を求めたのも全てパパに褒められたい、愛されたいからだったんだ(ここ「アリージャンス」のサミーも同じ)と感じさせ、それが叶わず決裂した直後のヴォルフガングが辛く、従来はここがクライマックスと思っていました。

 

それが今回(私の感じた)クライマックスはもっと後の「父への悔悟」に。パパの死を伝えられた後、うっすら笑み(自嘲?想い出?)からの涙、嘆き〜慟哭。まだ生きてさえいれば和解のチャンスはあったのにと、ここで決定的に絶望したのだと感じました。そして、自分の家族を引き裂いた真の敵はアマデと悟っての狂気…最も感情が振り切れた瞬間…に見えます。さらに男爵夫人の「星から降る金」リプライズを経て、表情、まとう空気を一変させ、街に出て行くヴォルフガング。ここが物語の転換点でもあるのだと改めて感じました。

 

この一連のシークエンスは3人の女性が前後を固めています。

ナンネールの「パパが亡くなったわ」〜ナンネールとコンスタンツェの二重唱・・・から始まって、ヴォルフガングの「父への悔悟」、狂気の後、男爵夫人の「大人になると言うことは」までの流れが、これまで以上に圧巻なのかもしれません。

 

昔は歌詞が聞き取れなかったこともあるナンネールとコンスタンツェの二重唱。今年は2人とも歌詞が明瞭なだけではなく(そこは当然の前提条件)、姉がヴォルフガングを責める気持ちと妻が守ろうとする気持ちが対峙し、静かに炎を燃やしているよう。

特に美桜ちゃんナンネールの哀しみと怒りが入り混じった表情がヴォルフガングを追いつめるところから生まれる緊迫感。

ヴォルフガングの狂気を経て、ヴァルトシュテッテン男爵夫人の歌は、アマデの意志とも、憧れの精の言葉とも、神の命令ともとれますが、この時の舞台装置がまた象徴的。ピアノ型セットの鍵盤部分にヴォルフガングがいて、ピアノの上に男爵夫人とアマデ、後方には星空。

全ての鎖を断ち切って音楽に身を捧げ、夜空の星から降る金を探す旅に出ることを求められるヴォルフガングにこれ以上似合う背景はないと感じました。ピアノ型装置の新演出・・・全ての場面で成功しているとは言い難いけれど、この場面のためなのだと思えば納得です。

 

1つの印象的場面は主役1人の力で創り出すものではなく、共演者、装置、照明、音楽・・・全ての力が揃い、融合したときに単なる足し算以上の効果をもたらすということを実感しました。