終わりましたねえ。

「モーツァルト!」2010~2011。

育三郎くんの初日=夢が叶う瞬間をドキドキハラハラしながら待ち続けて。

夢が叶う瞬間に立ち会って、2か月間帝国劇場に通って。

東京から大阪、金沢へ想いだけ馳せて。

心満たされていた数か月でした。


最後に育三郎くんヴォルフガングの魅力についてもう1つ・・・


ヴォルフガングの心


何度も書きましたが、育三郎くんのヴォルフガングから一番強く感じたのは、家族の愛情と絆でした。

パパと家族が大好きで、パパに認めてほしい、誉めてほしい、ありのままの自分を愛してほしいという気持ちが最初から最後までブレず、場面ごとに時間と場所が変化していく舞台を芯の通ったものにしていたと思います。


才能などなければ平凡に幸せにくらせたかもしれない家族思いの青年が、才能を持ってしまったために才能に振り回され、自由に生きることもできず、家族を引き裂かれた悲劇。これが育三郎くんの「モーツァルト!」から最も強く伝わってきました。


けれどもヴォルフガングは不幸ではなかったと思います。才能に振り回されはしたけれども、その才能ゆえに愛する音楽を生み出すことができた。誇らしく僕こそミュージックと言える人生は、不幸なだけではなかったと・・・これが今、大千秋楽の日になって私が思う、育三郎くんのヴォルフガングです。その人生を見届けることで、観客もそれぞれの人生を考え、力を得ることができたと思います。


もし、育三郎ヴォルフガングにもっと求めることがあったとすれば、ヴォルフガングにあまり危うさを感じなかったということかも?

放っておいたら何をしでかすかわからない危うさ、天才の破天荒さがあってこそ、レオポルトパパの親心に皆が共感できるのですが、その点、育三郎くんのヴォルフガングは、放っておいても危なげなく人生を生きられそうな印象もあり、パパの心配に少し違和感(心配しすぎと)を感じていたかも?


ある意味、ヴォルフガングの性格は矛盾する要素がいっぱいで、どこを芯にするかで印象が変わると思います。足りない分を補ってくれるのがアマデの存在で、育三郎くんの場合は天才の破天荒な印象が薄い分、才能はアマデの担当だから・・・と勝手に自分を納得させていた私はファン馬鹿ですが・・・。

次の時は、そういう天才の危うさも見えるヴォルフガングに会えると良いな・・・と思っています。


3か月続いた「モーツァルト!」四演も今日で大千秋楽。


まずは、育三郎くんにおめでとう。そして、お疲れ様。


育三郎ヴォルフガングに乾杯ワイン


また会う日まで。