本日、育三郎くん梅田芸術劇場楽日です。今日と金沢で、あと2回。

遠征される方も大勢いらっしゃるんでしょうね。駆けつけられず残念です。

心だけでも飛ばせたら良いのに。


帝劇公演ヴォルフガングの振り返りもやっと2幕最後までたどり着きました。

 

第2幕第12場 1789年7月のある日 ウィーン グラーベン広場


M55 「フランス革命」


「大人には父はいらない」と言い切るヴォルフガング、前の場面とは別人のように凛々しく、キリッとした大人の顔つきになっています。演技で顔って変えられるんだと、ちょっと驚いたりしました。モーツァルトの音楽の方向性と時代の流れをリンクさせた見事な場面で、新しい時代の息吹とワクワク感が感じられます。シカネーダー、ヴォルフガング、アマデそれぞれの「やるぞーっ」って顔が好き。


第2幕第13場 ウィーン あずま屋 アウフ・デア・ヴィーデン劇場の裏庭


「魔笛」作曲中のヴォルフガング(アマデ)と衣装を持って訪ねてくるシカネーダー。「俺たちは成功するんだ」。微笑み合う2人の信頼感が素敵です。

女優さんとのキスを目撃したコンスタンツェの気持ちを考えると、やり切れないとは思います。ここの「ダンスはやめられない(リプライズ)」は、かなりヒステリックに聞こえて、ヴォルフガングの「帰ってくれ!」も無理ないと感じたのだけれど、その後の「あのままのあなた」は切なかったです。東京で最後に聴いた時のこの歌は本当に心が感じられ、初めてHiroコンスタンツェの歌がミュージカルになっていると思いました。


第2幕第14場 魔笛


喝采の後、赤いモーツァルト幕(?)のとり合い。ヴォルフガングとアマデのどちらもが、これは自分への評価だと主張するような激しさ。結局、ヴォルフガングが勝ちとったところで、「レクイエム」の依頼人(パパ?)登場。ここは、2階から観たとき、上段の黒いパパと赤い布をまとったヴォルフガングと赤いコートのアマデの三角形の構図がとても生きていると思いました。黒と赤のコントラストが絵的に美しかったです。依頼人は本当にパパだったのか?ヴォルフガングのパパへの想いが見せた幻なのか?指示通り自分だけの力でレクイエムを書く場面が痛々しかったです。


第2幕第15場 熱狂


M62 「モーツァルト!モーツァルト!」


私がこの舞台で一番、心深く真実と感じ入った歌詞はこの曲に出てきます。「世界果てる日まで奇跡は終わらない」・・・たしかに、今なおモーツァルトの音楽で人間の能力が高まる、動植物の発育が良くなるetc.の奇跡が語られ、効果が実証されているものもある。人類の歴史が続く限りモーツァルトの音楽の奇跡は続くのだろうと思うと、まさしく神の子としか言いようのない不思議を感じます。


苦しみながら、人々の「モーツァルト!モーツァルト!」の声に追い立てられるように一心不乱に作曲するヴォルフガング。赤い羽ペンで命を削りながら・・・。育三郎くんの表情に鬼気迫るという表現は、こういう時に使うのだろうと思いました。


第2幕第16場 1791年12月4日夜遅く


M63 「モーツァルトの死」


「僕は死んで、お前も死ぬ」・・・この台詞のときのヴォルフガングは表情も声も本当に険しく、歪んで、何とも痛ましいのだけれど、アマデに白い羽ペンを受け取ったとたん(一幕の「僕こそミュージック」のとき以来の白い羽ペンを持つ瞬間)、一瞬で全てが浄化されたような光を放ちます。ここでの「僕こそミュージック」は、声も表情も全てがピュアで、優しく、柔らかく・・・透明感のある美しさに観ているこちらまで心が洗われるよう。思わず見入ってしまいました。


そしてヴォルフガングとアマデの死。育三郎くんは倒れる角度がほぼアマデとシンクロしていています。死ぬ瞬間、ヴォルフガングとアマデは融合して1つになれたと解釈したいのは私の願いですが・・・。

死んだ後の2人を照らしていた照明は紫だったけれど、あの色には意味があるのかなあ?アマデ=赤で、ヴォルフガング=青が1つになったということかなあ?とも思いました。


セシリアにお金を盗まれ、最後はナンネールが入ってきます。

ナンネール登場のとき「終わりのない音楽は・・・」のメロディがインストゥルメンタルで演奏され、ナンネールがアマデの小箱を開け、音楽の泉となってモーツァルトの音楽が溢れてくる。「終わりのない音楽は、この世にあるかしら?」の問いの答が、ここにあるのでは?


フィナーレ 


M65 「影を逃れて」

 

「戦い終わり、命果てて、残されるのはお前の不滅の評価」


ヴォルフガングは幸せだったのかなあ?影から逃れることができたのかなあ?自由と輝きに手が届いたのかなあ?

残ったものがアマデ=才能への賛辞だけで、人間ヴォルフガングの苦しんだ人生が無になったなら、あまりに哀しい。

観る人が一人一人考えることで正解はないような気がします。観劇するたびごとに感じ方も変わりますし。

死をアマデとの心中と見るか、融合と見るかでも違うと思うし・・・。

願わくば、誇り高く自分の人生を全うできていますように。


「時が流れて 残るものは 目に見えないものだけ」