そろそろ20年来の宿題(?)に手をつけようかな?


「ファンタスティックス」を初めてみたときは、私もまだルイザと同じ年頃で。

とても楽しかったけれど、わからないことも沢山あって・・・。


「涙」とか「仮面」とか「ガラス玉」とか「壁」とか、何を表してるのかなあ?

と思いつつ、わからないままにしておいたのだけど、

2人の男の子の母になった今なら少しわかるかも?


新演出になったからこそ、見えてくることもある。

少しずつ、考えてみたいと思う。


今回初めて見た方たちは、セットもなくシンプルな舞台と言っている「ファンタスティックス」。

でも、亜門さん版になる以前は、もっともっとシンプルだった。

ステージシートや八百屋舞台もなく、ルイザの衣装も白で、照明も凝ってなくて・・・。

だから、今回見た時は派手になったなあ~と驚いたほど。


その中でも一番の驚きはルイザのキャラクターの違い。

ほぼ同じ台詞で、よくこれだけ変わるもの。昔のルイザは、多少わがままでも基本、夢見る乙女チック(←死語?)な少女だったのに、さやかちゃんのルイザは、ホントにイマドキの女子。可愛いけれど、ちょっとイラっくるタイプ。

これは、今、見ているお客さん、同世代の子に共感してもらって自分の物語として見てもらうためなのかな?

昔話を上演しているのではなく、今、21世紀に、どこででも起きている物語として見てもらうために。その現代性を一番出しているのがルイザなのかな?

マットの性格は大きく変わっていないけれど、やっぱりイマドキの草食系男子?


だから、元少女の私が今、共感するべきはルイザでなくてお父さん2人ってこと?

そう考えたら、確かにねー。
うちの子たちは、まだ恋愛する年ではないけれど、習い事一つ選ぶのにも、親が選んでいるのに、子どもからやりたいと言わせるよう仕向けることってあるよね。それで、あとから子どもが辞めたいって言ったら、あなたがやりたいって言ったんでしょー!なんて、言ったり。親としては子どもの幸せを考えているんだけど・・・って、これじゃ子どもが大きくなったら、「ファンタスティックス」のお父さんたちみたいになっちゃうかなあ?舞台上でお母さんだったら、生々しくて嫌悪感があるかもしれないけれど、ちょっと抜けてるお父さんたちの無邪気な企みで、嫌な感じがしないのも絶妙ですね。


エル・ガヨは、子どもを千尋の谷に突き落とすライオンのような厳しいお父さん?あるいは世間?を表している?「私も傷つきました」という台詞に、子どもを成長させるためには、自分も傷つく覚悟もいるのだな・・・と考えたり。今は、電車の中で他人を注意することも難しい時代だから(逆ギレされて刺されるかも?)。


そこから見えてきた仮面の意味・・・。特に、ネットが普及した今だからこそ、よくわかる。

ルイザの台詞もヒントになった。「夢の中であなたが苦しんでいるのを見たけれど、私は仮面をつけて、あなたを助けようとしなかった・・・。」この台詞、昔はなかったような気がするんだけど、すごくわかりやすくなった。

ネットなどで、匿名だったら、自分は傷つかずに、どんな酷いことも言ってしまう・・・そんなことを表してるのかなあ?


でも、自分が傷つくことがなければ、人は大人になれない。

自分が傷つかなければ他人の傷も見えない。

ルイザがマットの傷を見て手当をしようとし、マットが「君も傷ついたんだね」と、ルイザの心の傷を思いやる場面、じわ~っと、温かい空気が広がっていくようだった。


あと、エル・ガヨがルイザの涙を手に、「これだけで十分です。」という台詞。

昔はこれだけで世界を救うことができるって言っていたと思ったのだけれど、私の記憶違い?他の作品と混同してる?

どちらにしても、傷ついた涙が成長に必要で、皆が傷つくこともない子どものままでは、世界も殺伐としたままかな・・・?などと考えてみた。


「ファンタスティックス」の物語は、観客一人ひとりの心の中で、無限に広がっていくものだと思う。

エル・ガヨがオープニングで歌う「Try to Remember」もTry to remember, and if you remember, then follow (直訳:思い出して、思い出したら辿って・・・)と、観客一人ひとりに、自分の若い日を思い出すよう呼びかけ、思い出した一人ひとりが今の自分や昔の自分を投影して、舞台の中の物語を見ながら、自分の記憶の中の物語を追体験していく、そういう舞台だからこそ、世界ロンゲストランを達成したのかもしれない。


英語詞では2番で、Try to remember when life was so tender that no one wept except the willow (直訳:人生がとても優しくて、柳の他は泣かなかったときを思い出そう)と涙のない時代を歌い、3番ではWithout the hurt the heart is hollow.(傷がなければ心は空洞)と歌われる。傷ついた心が思い出すからこそ、過去は甘く、優しいのかな。そう言えば、「キャッツ」の「メモリー」も、このような内容を歌ってますね。


今回の観劇で感じたのは大ざっぱに言ってこんな感じ。

20年来の宿題の答になってるかな?

この答も、きっと一人ひとり皆、違うものなんでしょうね。

それぞれの心の中で、違う「ファンタスティックス」が生きていく。

小さな舞台から限りなく広がって、それぞれの心の中で大きく、豊かに実っていくのかな。