「こけし
」
「こけし」は東北地方の温泉地の湯治客用の
土産として誕生したと言われている。
江戸時代末頃 お盆やお椀、仏具などの木工品を扱う
職人達が彩色を施した商品に需要があると知り
その後「こけし」が作られたという。
日頃の厳しい農作業で疲れた体を癒しに温泉に来る
湯治客達が土産で購入していったそうだ。
「こけし」は山の神様と繋がる縁起物としても考えられていて
子供の玩具というだけではなく土産で買っていくと重宝される
ものだったらしい
。
しかし「こけし」には色々と諸説があり
私は「悲しいこけし説
」
の方が信憑性が高い気がしてしまう。
「こけし」の由来は「子消し」という意味からくるものだと
聞いた事がある。
その昔東北地方で貧困の為に堕胎した子や
殺めてしまった赤子への慰霊をする為に作られたという。
そんな悲しい話が背景にあるようだ。
![]()
私の母方の父、つまり私の祖父が生まれた時代に
こんな話があったのだと昔祖母から聞かされた。
昔々、東北では子供を何人も育てられないという理由で
産まれた赤子を裸のまま居間に一日中置いておく
という話がやはりあったという。
赤子は寒さと飢えから翌朝には亡くなっているという
なんとも残酷極まりない話で今ではニュースになる話だが
それを黙認していた、そんな時代があったそうだ。
産まれてすぐに祖父も同じように居間に裸のまま
一日置かれたそうだ。
翌朝 祖父の両親が「もう死んでいるだろう」と居間に行くと
なんと祖父は泣く事もなく手足をばたつかせ
ピンピンしていたそうだ。
他の子供とは違う強い生命力を見せる祖父に
「こりゃたまげた![]()
!この子は神様から
育てなさいと言われているんだべ」
と両親は祖父を育てる決意をしたという。
そして祖父は成長し祖母と出会い![]()
![]()
私の母が産まれた。
祖父は写真家
として生計を立て何不自由なく
暮らしていたそうだ。
祖父は
アメリカの軍人の写真を撮る仕事なども
していた為今では100円ほどで買える当時
誰も口にできないチョコレート
やバナナ
などの
ハイカラな食べ物を食べられ
「他のお家よりいい暮らしをしていたのよ
」
と母は当時を振り返り誇らし気に私に語ってくれた。
そんな生活が一転したのは祖父の突然の死である。
一気に家族が路頭に迷い 卵1つ、りんご1つ買うのも
大変な日があったそうだ。
今でこそ女性の社会進出で女性も力をつけて生計を
立てられるようになったが当時は女ひとりで子供を
育てるという事は相当大変な時代だったのだ。
祖母は女出1人、![]()
![]()
![]()
4人の子供を育てる為に
文字通リ「朝昼晩」と働いたそうだ。
朝から夕方までは工場で働き
夕方から夜にかけてはお店で皿洗いをして
働いたという。
昼間工場で働いていた祖母は昼になると仕事仲間に
皆で弁当を一緒に食べようと誘われたそうだが
「いい景色さ見て食べたいすけ
わは(私は)お山さ行って来る」
と誘いを断り続け1人弁当を持って近くの山に
向かったという![]()
。
しかし祖母が山に登ったのは良い景色を見る為でも
弁当を1人で食べる為でもなかった。
なぜならば祖母の弁当はいつも中身が入っていない
「カラ弁」だったからだ。
当時一日中働いても4人の子供を養う事は十分でなく
自分の弁当の分までの余裕がなかったそうだ。
祖母は毎日空っぽの弁当箱を持っては山に登り
水だけを飲んで空腹をしのいでいたそうだ。
その時の祖母は山の上から見る景色が
どんな風に見えていたのだろうか。。。
その時間 祖母はひとりどんな事を考え
何を想っていたのだろうか。。。
![]()
昔「一杯のかけそば」という感動的な話があったが
私にとっての涙をそそる話は「祖母のカラ弁」話だ。
母からこの話を聞いた時いつも温和な祖母の
底知れぬ強さを知った。
母は強し
いつの世も母は強い。
ただこの時代の母親というものは
精神的にもとても強かったように思える。
もし私だったらそんな事が出来たのだろうかと
思ってしまう。
![]()
私達はある日気がつけばポンと生まれてきたように
思ってしまうが今自分がこの世にいるということは
過去に数知れないご先祖様達がいて、その1人が
欠けていても今の自分はいなかったはずである。
その当時のご先祖様達の頑張りや踏ん張りがあり
次世代への「命のバトン」を渡してきたからこその
今の私達なのだ。
息子はその「命のバトン」を次の世代に渡せなかった。。。
その事は理屈なくして悲しくそして悔しいと思ってしまうのだ。
![]()
![]()
![]()


