アナウンサー生活20周年を機に
私がアナウンサーになったきっかけや
なるまでの活動、なってからの出来事などを
綴っています。


過去記事はこちら。
藤田りえ物語①→→→☆☆☆
藤田りえ物語②→→→☆☆☆



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アナウンサーになろう!と
決めた大学3年の春。



しかし、当時は
香川県にアナウンススクールなどなく、
周りにアナウンサー志望の友人も
いませんでした。




どこで情報収集をすればいいのだろう?と
探していたら、
創出版がマスコミ就職情報を郵送してくれる
「週間 創(つくる)」というものがあることを
知ります。



今と違って
パソコンで検索してエントリーするのではなく、
毎週郵送で(!)送られてくる情報をもとに、
アナウンサーを募集している局に
郵送で履歴書を送付していたのです。
いやー、、、アナログ過ぎて浦島太郎みたいな感覚w





アナウンサー試験は
東京キー局から始まります。
私の時代は大学3年の晩秋くらいから
始まっていました。





まずは書類審査からです。


フジテレビとTBSは通過。
日テレは書類落ち。
テレ朝は書類持ち込みで
審査はなかったように記憶しています。
同期のみんな、間違っていたら教えて!



写真は、
今と違って
サービス版のバストアップと全身の2枚のみ。
今はもうそれはそれは自由ですよね!

当時の写真はもう手元にないのですが、
首をかしげたり
手を顎に添えたり
という、
いわゆる普通の写真ではないものを
貼って出していました。
キー局、準キー局には
そういうものを使いましたが、
地方局、NHKに出す書類の写真は
撮り直しました。
↑名越アナウンサーからのアドバイスでした!
従ってよかった




面接に臨んだものの、
フジテレビもTBSもテレ朝も
一次試験で敗退。
フジテレビアナ受験の方たちは
それはそれは華やかな、
垢抜けた方たちばかりで
一緒にいて自分が恥ずかしかったです。。。
自信のなさというのは
見破られますね。
あり過ぎてもダメですが。




そしてTBSを受けた時。
面接官には渡辺真理アナウンサーがいらして
びっくり!!
もうそれだけで緊張感が増してしまいました…。




試験内容に「原稿読み」があったのですが
(フジテレビの一次試験ではなかった)
読んでいる途中に
面接官に衝撃の一言を告げられます。




「君、アクセントやイントネーションが
おかしいよ??!!」




え?
私、読み方おかしいの??




…そうです。
ずっと四国から出たことがなかった私。

自分では共通語のイントネーションで
読んでいるつもりだったのですが、
全然できていなかったのです!!

 


面接はそれで終了!
原稿も、全部読ませてもらえませんでした…





共通語のイントネーションで
原稿を正しくお伝えするのは
アナウンサーとして
基本中の基本で
いちばん大切なこと。



リポーターをしていたのに…! 
尊敬するアナウンサーの方々が
周りにたくさんいたのに…!
自分の話し方が
アナウンサーとしては致命的だということに
全くもって気付いていませんでした。




撃沈。




でもここで気付かせてもらってよかった!と
今できることをしようと決意します。




大学3年生の冬。
準キー局の採用試験直前。
マイナスのスタートから
仕切り直しです!




次は、
四国の田舎にいて
アナウンサースクールにも通わず
方言丸出しのいち学生が
どうやってアナウンサー内定にこぎつけたのか、
私なりの見解を書いていきます。
次回も読んでいただけたら嬉しいです






大学時代、
友人の紹介でこんなこともしていました 笑↓
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装道きもの学院の着付け教室に
通っていました。
同級生と一緒に着付け大会に
参加したときの写真↓
昔はかなりのなで肩でした 笑
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