ここに来たのは実に3年ぶり。
一番最後の更新は、2011年1月だった。就活真っ最中だ。
その最後の更新から今に至るまで、いろいろなことがあったので全部記憶たどっていきます。
まず、東日本大震災。その時私はいつも通り会社説明会に参加していました。
突然生まれて初めて大きな地震を体験した。完全に気持ちがハイになってしまっていて
周りの名前も知らない就活生とおしゃべりしまくっていた。
こんな緊急事態の中でも冷静にES書いている人がいて、すごいなと思ったけど
私が未熟すぎただけだったんだなと今では思う。
結局電車が再開して帰宅できたのは12時まわっていた。私の家は13階なんだが
家のたんすが全部倒れていた。
母親は買い物にでかけていたが、地震が起きた後階段を自力で上がって自宅まで帰ったそうだ。
私の母親は足が悪くて杖で生活してるので、相当過酷だっただろうなと。
就活の予定が全部延期になり、予定がなくなってしまったので、就活通じて出会った友達と
ほぼ毎日飲み歩いていた。あの頃は本当に楽しかった。不謹慎かもしれないけど
地震のおかげで、自分を見つめなおす時間ができて、就職できたと思っている。
就活終わって大学の部活動が本格的になり私は人員不足過ぎて責任重大な職務に就いた。
やる気なかった。でも頑張ったつもりだった。ふがいなさすぎたけど。
下級生のほうが真面目でやる気あって、下級生に仕事できないレッテルはられて
居場所もなくてつらかった。仲間はいても、気を許せるひとがいなかった。
早く就職したかった。大学卒業したかった。新しい仲間を作って、心許せる友人がほしかった。
思えば私は小学校中学校高校を卒業する時いつもいつもいつも、同じ気持ちを持っていた気がする。
早く卒業したい。抜け出したい。いつでも私はその場にとけこめなかった。
悲しい人生だなと思います。
いざ卒業するとなった時、部活の追いコンで私は大号泣した。
これまでのつらさから解放されたからかな。下級生が優しかったからかな。
今ではもう、私のこと思い出す人もいないだろうな。
就職しました。大学でやってきたことと全く関係のない仕事。
私の大学からこの会社に就職した人は誰一人いない。
今後この仕事の知識が役に立つときなんて来ることはないでしょう。
でもこれは私が選んだ道なのです。もう一つ内定決まってたけど、こっちを選んだ。
・総合職、色々な仕事ができる、転勤あり、一人ぐらしできる、周囲ほぼ男性
・営業職一本、転勤なし、周囲ほぼ全員女性
迷わず上のほうを選んだ。就活する上で外せなかったのは総合職という点。
そして一人暮らししてみたかった。あとはもう会社の雰囲気さえよければいいと思っていた。
実際3か月の研修は大学どころか高校生に戻ったようだった。同期とは本当に仲良くて、
心許せる仲間が初めてできた気がする。研修中の発表等で自分をさらす自信ももらった気がする。
いざ配属を聞かされた時、びっくりした。本当に男女関係なく縁もゆかりもない土地に飛ばすのだ。
今現在、私は大阪で、一応は総合職だが内勤事務として営業所で働いている。
制服を着ている。私が思い描いていた社会人像とはかけ離れていた。。
友達もおらず、無駄に日々を過ごしている。
実際に働いてみて、一人暮らしは本当に楽だけど、いかにこれまでの暮らしが
恵まれていたかを実感した。
自分にとって大事だったことは、自分がやりたいと思うことをできないということだった。
会いたい人にも会えない、好きなこと、好きな場所にもいけない。
これまで好きなことを散々やりすぎて、新たにやりたいことが見つからない。
知らない土地に来てよかったこともたくさんあるし、仕事自体、今はもう辛くない。雰囲気もとてもいい。
でも根本的に、本当にやりたかったことは、こんな仕事ではないと最近思うのだ。
私がやりたかったことはマスコミ関係だったのに、早々に諦めた。試験が難しくて勉強したくないとか
色々言い訳して。中学時代も高校時代もそんな感じで自分に甘い中途半端な人生でした。
こんなことしてたらそりゃ神様も見放すわけです。やりたいやりたいって口先だけなのだから。
もうこんな人生送るべきじゃない。これ以上人生無駄にしたくない。
わたしがやりたかったことは、好きだと思う自分の感性を誰かに伝えたくて
自分がいいと思うことを紹介する仕事がしたかったんです。
でも転職する勇気もないし、いざ転職したとしても思い通りにいくわけがない。
それならまたここで、好きなこと、好きなもの、すべてをさらけ出しちゃえばいいじゃないかと思った。
そういうことです。
こうしてしばらく、今の仕事で様子みてがんばります。転職したくなったら本気でがんばる。
でもなるべく転職しない方向で。東京には帰りたいけども。
以上。