実体験の持つ意味
■知性の数だけある可能性
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以前、京都大学と住友林業が共同研究で、木製の人工衛星が開発されていることを知りとても驚きました。木材の可能性がまたもう一つ広がった、そんな思いでした。曽祖父が宮大工の棟梁でしたので、何百年もの間、風雨や雪に耐える木材の可能性を感じていたのですが、宇宙にまで及ぶとは驚きです。
映像文化が広がり、あらゆる情報が目に飛び込んできます。映像技術は進み、AIの登場で、フェイク映像も実写と区別がつかなくなってきました。私は、大学2年の終わりに外国に行くチャンスを貰いました。その折、アメリカのグランドキャニオンに行く機会を得ました。それは、今の時代の進んだ映像技術をもってしても、人の持つ五感をフル回転しても追い付かいほど、その圧倒的スケール感は、実体験でしか味わうことのできない経験です。
また、ニューヨークでは、心地よい音楽に誘われ、入ったライブハウスでは、休憩後表れたミュージシャンに目が点になりました。それはMJQ(モダンジャズカルテット)のビブラフォン奏者ミルト・ジャクソンだったのです。レコードでしか聴いたことのない音、それが目の前で、その後本人が演奏している。その距離、わずか2mほどでした。
遊びにしても、学習にしても、子どもたちの周囲はどんどんデジタル化しています。人工的な環境の中で、次々に新しい刺激を求めていますが、人々の持つ虚しさは、そんなものでは埋まらないのではないでしょうか。大自然の圧倒的なスケール感、本物との出会い、実際に見ること、聴くこと,触れることの大切さを幼少期からできるだけ経験させてあげたいと思います。
私たちは、認知心理学の研究では、およそ十数種の知性を持っていると考えられています。それらは、経験や体験を通し、そこから学ぶことで成長していきます。それだけ、環境という二文字の重要性が問われるのです。どれだけ、これら知性に関する情報や刺激に触れることが出来るか、幼少期は、その土台が形成されていきます。学習系に向く子もいます。音楽や芸術、運動に向く子もいます。平均の子を育てる教育が横行しているとき、子どもの持つ、興味関心に対する大人の目が偏っていると、子どもの持つ能力の可能性をつぶすことも考えられます。
50年前では考えられない職業が、今の時代を支えています。我が子にどれだけ本物に触れさせることが出来るか、それは、聴く、見る、味わう、匂いにふれることもあります。五感教育とは、直ぐに言語化できない、数値化できない経験や体験に多く含まれています。すると、受け身ではない、能動的な、積極的な子どもの行動がその次に表れてきます。あの木材が宇宙を飛ぶ時代です。私も、そんな環境づくりを、また、体験や経験を数多く提案できるよう頑張ります。