サラエボでの宿泊は「ホテル ハリウッド」


バイキング形式で、控えめにしたつもりの今日の朝食 コーヒー


朝食後、ホテルの玄関に出たらめっちゃ長い車が停まってました。

前のタイヤと後ろのタイヤまでがすごく長い。
余計なお世話だけど、この車交差点を曲がれるのかな~?
まあバスと思えばいいんだろうけど。。

ところで、海外と言えば通貨の交換 ¥
こちら下矢印が用意したユーロのお札。

σ(^_^)が交換した時は、手数料込みで173円でした。

ユーロさえあればいいと思ってたら、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、
ユーロはほぼ使えなくて↓のマルクという通貨になります。

マルクが使えるのはボスニア・ヘルツェゴビナだけで
 余っても両替することはできないとのこと。
 ジュースを買う程度、10ユーロ分を両替にしました。

「イエスの聖心大聖堂」

高さ42m、サラエボのシンボルの1つと言われる聖堂で、
オスマン帝国の支配からオーストリア帝国に代わった後作られました。

↑の聖堂のある旧市街地。


「セルビア正教会」


今まで見たものと雰囲気の違う印象的な外観の大聖堂。
旧市街地にある公園の横にありました。

セルビア正教の大聖堂で正式名称は「生神女誕生大聖堂」です。

ラティンスキー橋の架かるミリャツカ川を挟んだ向こう側の光景。
先に紹介した大聖堂などがある側の向かいになります。

左下の橋が「サラエボ事件」の現場となった「ラティンスキー橋」

サラエボ事件とは
1914年、オーストリア・ハプスブルク帝国軍の演習観閲のために
訪問中のオーストリアの帝位継承者フランツ・フェルディナント夫妻が
暗殺された事件です。
セルビア人による民族統一運動がその背景にあり、
暗殺に必要な武器の調達には、セルビア軍や役人の関与があったと
言われています。
これがきっかけとなり第1次世界大戦が勃発しました。

「モスク」


正式名称は「ガジ・ヒュースレフ・ベイ・モスク」


オスマン建築の代表的な建物で1532年に建てられました。


モスクの周囲にはお土産屋さんが並び、多くの観光客の姿が!!


ちょっと気になるロール状のお菓子に見入る観光客。


こちらはジェラートのお店。

「アレとコレね」と指さして違うものを頼んだ(つもり)が、
同じものを2つ渡されました(意思の疎通ならず。。)

おいしかったからいいけどね。



ジェラートの後でなんですが、トイレ事情について。。
 今回σ(^_^)が回った国のトイレ料金は1~2ユーロ。
 海外ではトイレの有料は珍しくないので
 それはそれで仕方ないんだけど、
 今回困ったのは、トイレの鍵が非常に分かりずらかったこと!!
 こちらのモスクの外にあるトイレでのことなんだけど、
 用を足して出ようと思ったら、鍵が開かない非常事態ピリピリ
 プチパニックになりドアをドンドン叩きながら奮闘えーん
 どうにか脱出に成功しました。
 扉の前にはトイレの番人の女性が笑いながら立ってました。

 今回の旅行中、σ(^_^)と同じ状態になった人がほかにもいて、
 おやじがトイレの前にいたら、中からドンドン叩く音がして、
 出てきたとたん「出れないかと思った」って言ってたそうな。
 日本だとそんなトイレは許されないんだけど、
 海外のトイレ事情は、どこもそんなもんなんだろうな。



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