見えないふり 第七話 | @ちゃんねるブログ アニメ速報

6.あなたのいない世界

「もう、やめて……。紗奈」

 自分は何をしているのだろう、と喪失感に囚われながら、崩れ落ちそうになる。
 ああ……、わたしは何も変わってはいなかった。
 2年前。紗奈がいじめられていた時も、何もしてあげられなかったのだから。

 わたしが中学一年だった頃――――。
 紗奈とは、特別仲がよかったわけでもない。けれど彼女のおだやかで、落ち着いた性格はとても好きだった。
 当時からわたしはガサツで声が大きいと男子から言われ、女の子らしい所なんて綺麗な長い髪ぐらいしかなかった。
 だから、わたしはお淑やかでまるでお嬢様のような振る舞いの紗奈に羨望の眼差しを向けていたんだろう。
 たまに目が合っては、笑いかけて来る紗奈にいちいち「あんた友達少ないわよね!」と嫌味ったらしく言っていたのを覚えている。
 でもそれは恥ずかしさのあまり口からついて出た言葉であって、悪気があったわけじゃない。
 それを知ってか知らずか、突然紗奈はふわっとした柔らかい笑顔でこう言った。

「うん、そうなんだ。だからよかったら友達になって欲しいの。ダメかな?」

 その時は驚きのあまり、何を喋ったのかよく覚えてはいない。あとから紗奈が笑いながら、たまにネタとして話に出すくらいだから、相当なことをやらかしたのだろう。
 
 あの頃の私たちは親友だったはずなのに。
 

 それから数ヶ月経って事態は一変する。
 紗奈の体に異変が起き始めた。
 廊下を歩いている途中、いきなりふらっと倒れそうになったのをわたしは慌てて抱き寄せた。

「ど、どうしたの?」

「あ、うん……。ちょっとつまずいちゃって……」

「え? 何もない廊下で…………?」

 そんなドジな子だったかな、とその時は思った。
 けれどそれは違う。この時紗奈は自分の目が見えなくなってきていることに気づいていたんだ。笑ってごまかしていたから、わたしは気にもとめなかったけれど。
 きっと紗奈は、わたしに心配させたくなくて、目のことを黙っていたんだと思う。
 
 鈍いわたしだから、そんなことにも気づいてあげられなかった。
 
 ある日の休み時間。
 わたしは、間違いだらけのプリントとにらめっこしながら、こうでもないああでもないと一人悩んでいた。
 そんな時に、ふいに流れるように耳へと入ってきた。

「ねえ、紗奈ちゃんって目が見えないらしいよ」

「えー、なにそれ。本当なの?」

「本当、本当。今度足かけてみなって、簡単に転んじゃうから。もうほとんど見えなくなってんじゃないかってくらい盛大に転ぶから」

「ちょっ、何それ面白そう」

 それを聞いたわたしは勢いよく立ち上がって、気づけばその子達の元へと詰め寄っていた。

「それどういうことなの!?」

 きっかけは、些細な事だったらしい。
 紗奈が、教科書を見ながらぼーっとしているので、隣の子が何をしているのか聞くと、こう答える。

「あ、うん。ちょっと文字が小さくて読めなくて」

「紗奈ちゃんって目悪かったっけ……? これかなりおっきいほうだと思うよ? これとか読める?」

「えっと…………」

 案の定紗奈は言葉に詰まり、それから困ったように頭をかいてごまかしたらしいが、その光景を一部の女子が見ていた。
 それは、紗奈に嫉妬心を抱いていていたクラスの女子グループ数名。
 そこから、連鎖のようにいじめが広がっていき、圧倒言う間にクラスの誰もが紗奈の事実を知ることになる。
 もちろんわたしは紗奈にちょっかいを出している連中を見かけたら、幾度となくやめるように言った。
 すると女子達は隠れていじめをするようになり、紗奈の外傷が目に見えて現れだした頃。
 今度はわたしではなく、総三真翔という少年が女子グループに向かって言い放った。

「君たちなんだろ? 川島さん達をいじめているのは」

「はぁ? 違うし。そもそも真翔君は、あの子の彼女か何か? 紗奈に助けてってせがまれたのー?」

 少年はこれ以上ないくらいに激昂していて、けれど暴力にものを言わせたわけでも、言葉で怒鳴りつけたわけでもなかった。
 ただ一言女子達に呟いた。

「返ってくるよ……。絶対にね」

 すっかり静まり返ってしまった教室に、下品な笑い声がしばらく続いていた。



 それから、二ヶ月が経った。
 いじめの事を両親に話して、学校側に言うように頼んだけれど、それも力によってねじ伏せられる。事実は隠蔽されて、挙句にはわたしを退学にすると脅された両親はとうとう諦めてしまった。

 わたしと紗奈の関係もどことなく離れていっていて、話しかけるのも気まずい空気を一つ重ねないといけないほどにまでなる。
 何をしているんだろう、自分は。紗奈のために何かしてあげられることはないのか。
 そうして無作為な日々を送っていた、ある夜のこと――――。
 滅多にかかってこない家の電話がベルを鳴らした。
 その時携帯は持っていなくて、鳴り続けるベルに誰もいないのかと、わたしは電話のある玄関の前まで行くと受話器をとった。
 もしもし、とかけてきた相手を確認すると、少女の声がした。

「やっほー」

 陽気な紗奈の声だった。何故かその様子に不安を感じてしまう。

「ど、どうしたの? 何かあった?」

「ちょっと話がしたくて」

「あっ、だったらわたし今から紗奈の家まで行く。体力なら自信あるしっ――――!」

 けれど、ううん。と電話の向こうで紗奈は否定する。
 
「あたしの家おじいちゃんとおばあちゃんしかいないでしょ? だから電話も置いてなくて」
 
 公衆電話からかけているのだと苦笑した。続けて、紗奈は通話越しに息を漏らす。

「ねえ、みのり。あなたはあたしの事を友達だと思ってた?」

「っ当たり前じゃない! 友達、ううん、親友でしょ!」

 間髪入れずに答えとふふ、っと微笑したのが聞こえた。

「みのりならそう言ってくれるって思ってた」

 いつもの上品な感じとは少し違い、寂しげな笑い声。

「な、なんか紗奈怖いよ。ねえ、今どこの公衆電話使ってるの?」

「えーと水口商店の近く、自動販売機の隣、かな」

「だったら今そこまで行くから待ってて!」

「待って!! 聞いて、みのり――――!」

 重たい声が耳に響き、わたしはとうとう受話器を置くことができなかった。ふぅと電話越しに息をついた紗奈が、淡々とした口調でわたしに言った。

「あたしみのりの事、これっぽっちも恨んでなんかないよ。みのりは多分自分に責任を感じているのかもしれないけれど、そんなことない。…………だって。みのりはいつも強気で、活発な子であたしに元気をいっぱいくれた。みのりはね、あたしの憧れの女の子だったんだよ?」

「そんな…………」

「だからね、もう重荷を背負って生きていく必要なんてないんだよ。みのりは、あたしの事で頭をいっぱいに悩ますことだってしなくていいの」

 何かを言いたかったけれど、どうしてか涙がこぼれ始めて、次第には嗚咽も抑えられなくなる。
 そんなわたしを慰めるように、紗奈の優しい声が聞こえてくる。

「あたしだんだんとね、目に映る世界が霞んでいって、そのうち幕を下ろすんじゃないかって予感があるの。そうしたらわたしに残る世界はあと4つ。どれも魅力的な世界だけれど、わたしはやっぱり、この世界が好きだった。それは……、なんでだと思う?」

「えっと……。それはっ……!」

 紗奈の欲しがっている言葉を答えたくて、頭の中を必死で巡らせてみたけれど、このとんちんかんな脳ではどうしようもない。
 わたしの答えが待ちきれなかったのか、紗奈が先に口を開いた。

「それはね……」

 あなたの映る世界が、あたしにとっては一番輝いて見えたから

 最後にそう言い残して、紗奈は電話を切った。