ナンバー 368 「私の 平成奮闘記」 | 堀切光男のエッセイ畑

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主にエッセイ。

 

 

下 平成元年  一月七日  「平成」 の元号を発表する。小渕さん。

 

エッセイ「私の 平成 奮闘記」

 

昭和六十四年は元日の朝から 思案に呉れていた。

 

当時住んでいた店舗兼住宅は狭く 一階が家業のラーメン店で、二階には二部屋しか無かった。

 

家族四人には手狭で、おまけに安普請で隙間風が吹き抜け、傾いて ドアも閉まらない。

 

そこで 年内の鉄筋三階建への建て替えを計画していた。

 

只、ローンが一年残っていて、見積もりを出すと新らたに4千万円の借り入れが必要だった。

 

三十年のローンを組んでもかなりの返済額になる、果たして返して行けるのか?

 

それやこれやで今決行するか 前のローンが終わるまで待つか? 迷いに迷っていた。

 

そんな悩ましい正月も 七日目には 吹き飛んだ。

 

昭和天皇がお亡くなりになり、急に元号が「平成」に替わったのだ。

 

天皇が亡くなったのは悲しい事だが、元号改正という 初めて体験する一大 イベントが

 

私を大いに 高揚せしめ 勇気づけ 奮い立たせた。

 

何か新しい時代の到来を感じさせた。

 

折しもバブルの真っ最中 イケイケドンドンの風も吹いている。

 

「よーし、行っちゃえっ」

 

決断すると 後は 早かった  銀行の融資も建設会社の契約も終え、話はどんどん進んで行った。

 

 庭は無いがベランダが 3ヶ所に造れたので、プランターに花を一杯 咲かせよう。

 

夕方には綺麗な富士のシルエットが遠望出来たので お風呂は三階に出窓付きを造ろう、

 

そして「富士見の湯」と名づけよう・・・・夢は果てしなく膨らんで行った。

 

 いよいよ四月からの着工が決まりアパートに引っ越しを始めた矢先に

 

青天の霹靂が私を襲った。

 

それは 郷里に暮らす 親父の訃報だった。

 

昭和天皇と同じ年に生まれ それが自慢だった親父はまるで 後を追うように 逝ってしまった。

 

地鎮祭などの日程が詰まり 遠い郷里での葬儀には出られず、大変な親不孝をしてしまったが

 

工事は順調に進み六月には無事開店にこぎつけた。

 

バブルはその三年後には 弾けたが、平成十年頃までは順風満帆が続いた。

 

ところが次第に景気は悪くなり二十年頃には売上は半減、厳しい日々が続く。

 

やがて僅か乍らも 夫婦二人の年金が貰える様になり ほっと一息も束の間、

 

妻が胃がんの手術を受け、その六年後には 今度は大腸がんで 又手術 、

 

続いて 二年後の去年は骨折で ひと月も入院したが、

 

その都度 娘の援助も有り何とか乗り切る事が出来た。、

 

今年の五月一日には平成が終わり 新しい元号の年が始まる。

 

丁度 その頃三十年のローンもようやく終わる。

 

その日には 私も新たな気持ちで 新たなスタートを切ろうと 思っている。