ナンバー 227 うちの父さん カピバラ 似 | 堀切光男のエッセイ畑

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ナンバー 225のウンチの話はいよいよ佳境に入って完結間近です。

 

「妻 曰く うちの父さん カピバラ 似」

 

 

妻が言うには 会話の途中で 宙を見つめ、少し考える。

ちっちゃい目を 泳がしては 何を考えてるんだか・・・・。

そんなところがカピバラ にそっくり・・・・らしい。

 

カピバラの和名は「鬼 天竺鼠」 他のテンジク ネズミよりも大きい 王様。

草原の主 と呼ばれている 誇り高き動物である事を 知っているのかな。

 

似ているといえば昔から小生は  寅さんにそっくりと言われていました。

下は 15作目「男は つらいよ  寅次郎 相合い傘」の寅さん。

この頃が一番似ていた様です。

 

 

下 毎日の様にカラスがハルをからかいに来ます。

カラスは電線に止まり「カアー  カアー」

ネコのハルは下から「カッ、 カッ、 カッ」と 威嚇します。

直ぐ近くまで来るので 襲われないよう 鳥除けネットを張りました。

 

 

 

 

 

下 ベランダの プランターに植えたキュウリが大きく育ちました。

一本を もぎたてで 塩をつけて 丸かじり、みずみずしくてとても美味。

 

下 7月2日

夕食は 近くのパスタ店に行く

二人で2980円というセットをチョイスしたら これが大正解。

ピザが一枚 パスタは2つ、大皿サラダ 1つ、デザート 2つ

飲み物は飲み放題(アルコール を除く)で量も他 店より多い位。

食べ切れ無い程で味も 満点で大満足でした。

 

次の話は昔懐かしいインスタント焼きそばの思い出です。

 

インスタント 焼きそばには 懐かしい思い出があります。

 五十数年前、中学三年生のお昼ご飯(給食は無かった)は菓子パンか

この焼きそば。

校庭の脇に教員住宅が有りその一軒は、独身用に  離れた場所に建てられた

四畳半 と台所だけの小さな住宅でした。

住人の橘 先生 通称 タッちゃんはいつもいないので、勝手に台所のプロパンガスと

フライパンを使って 焼きそばを作っていました。

フライパンに焼きそばを入れ水を張り 煮詰まると 付属のソースを絡める。

これだけで完成だが、鉄製のフライパンだからその都度 こびりつく。

頑固にくっついているので直ぐには落ちない。

水を張って流しに 放置して置くと 次の日にはきれいに 洗われていた。

 

この橘先生,二十四、五の男性 数学の先生だがボサボサの髪に丸眼鏡、

いつも丸首のセーターに一張羅の背広。

教室でjはサンダル履きでしたが、他では黒い足袋を履いて下駄をつっかけていた。

しょっちゅう 鼻をかんでいたので 蓄膿症では?と噂されていた。

その先生の住宅 四畳半にはビールの空き瓶がいつも4、50本は有り、時々我らが

酒屋に持って行き 一本五円で引き取って貰っていた。

そのタッちゃん先生と冬休み中に4、5人が集まり教室で 酒盛りをした事があった。

 

下 タッちゃん先生(イメージです でもホント良く似てる。当時の当人の写真も有りますが

個人情報の関係で載せる事は出来ません)

下の 写真を 同級生に確認した所 そっくりだと言っていました。

これ 寅さんの ワン シーンなんだけど そうすると橘先生と小生は同じ顔だと言う事か?

 

当時の中学校の校舎  今はもう有りません

 

下 3年生の教室 この中で 酒盛りは行われた

 

さて、男子中学三年生が四、五人集まり 担任では無かったが若く独身だったから親近感があったのか

タッちゃん先生を囲み 酒盛りが始まるのだが、話はその二時間前にさかのぼります。

タっちゃん先生が五〇〇円札一枚を出してくれたので(田舎の事でも有り 今の3 〇〇〇円位の価値)

その村に一軒だけの商店に皆して 繰り出した。

その頃 多くても一日三十円の小遣いしか貰え無かった我々は喜び勇み、五〇〇円札を握りしめ

いざ、買い出しに向かったのだった。

(この辺 晩酌の酔いが回って文章が乱れておりますので、 すみません 次回に続きます)

 

話の途中で そういえば 昭和の御札をとって おいたっけと思い出して出してきた。

確か 旧 五千円札もあった筈なのだが、 不思議な事に消えて いた。

 

   この上の五百円札を 一枚貰って買い出しに出かけた。

中学校があった村には一軒だけ お店やがあった。

そこで ビールを二本、スルメを一枚〈今 買うと八〇〇円 もしますが、当時の田舎では

50円 で買えた)そして 酒粕を購入残ったお金は全部 お菓子に消えた。

冬の事だったので、教室には石油ストーブが燃えていた。

スルメをあぶり タっちゃんは手酌 でビールを飲み我々はヤカンに酒粕を煮て

甘酒を 作ったのである。

アルコール度数は高くはないがまだ酒などは呑んだ経験が 無いので

結構 酔っぱらってタっちゃん先生を囲んで 本音で 議論を交わしました。

つづく

 

                                           ここに小学校

上の 写真は故郷の山川ですが、小生の 村は左下の開けた一角です。

小学校は峠を越えた上の 真ん中、中学校はそこから、さらに歩いて一時間 上流です。

くねくねと蛇行しているのは 「まわり」と呼ばれていた 川ですこの五キロ程の

「まわり」には道も無く 廃墟となった 炭焼き小屋が残るだけ。

この「まわり」を タツちゃんを案内して五人が コロガシと呼ぶ漁法でアユを掛けながら

歩いて下った事が有りました。

タっちゃんはその日 何と 下駄ばきで 現れた。

下駄しか持っていなかったからなのだが、案の定 途中で下駄は真っ二つに割れて

左下の村にたどり着いた後は、まだ未舗装の道路を 片手に割れた下駄を持ち

びっこを引きながら 中学校まで二時間 かけて 帰って行った。

その 後姿が何とも こっけいで、大笑いしてしまいましたが、今から思うと

アユ掛けの時に使う わらじ でも上げれば良かったかなあ。