ナンバー157 うんと 昔の話【猟銃 と実弾) | 堀切光男のエッセイ畑

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六十年も昔 そう、私が小学校に入学した頃の話。


五十代の私の父親は猟師 でした。


といっても職業としてではなく、その頃は田舎に沢山いた趣味と実益を兼ねた


ハンターの一人だった。


秋が深まると 南国の和歌山県と 言えども夜は冷え込む。


小さな囲炉裏に炭をもやす。


この囲炉裏は床に 埋め込んで造ってある。  五十センチ四方ほどの小さい造りで


上から やぐらを乗せるとコタツにもなるすぐれモノです。


掘りごたつでは無く 床板と同じ高さに造って有るので、やぐらを かぶせる前には


お餅を 焼いたり灰の中に栗の実を埋めたり(この時 必ず栗の実を少しかじり


破裂しないようにしなければいけません)  今日は フライパンで昼間拾ってきた、


椎の実を煎っています。


親父は鉄砲の手入れをしながら、山のいろんな話をしてくれました。


秋の夜長にこうして親父の話を聞くのが大好きでした。


今夜の親父は鉄砲のタマを造っている。


真鍮と何かの合金から出来ていると思うが黄金色した、軽い薬莢はおよそ七センチ程。


直径は十八ミリ程。


薬莢の下部には五ミリ位の雷管が埋まっている。


撃針が雷管を叩くと、 雷管内の起爆薬が燃焼し 火薬に火が付くという仕組みだ。


昔は決められた量の内なら許可が下りたのだろう、粉末の火薬も家に有りました。


雷管を埋め込むと,筒の上部から 匙で火薬を詰めます。


薄紙を入れ火薬を固めると、直径二ミリ程の小さい鉄球を三十個程詰め込みます。


厚紙を丸く切り抜いたモノを蓋にしてしっかり固定します。


これは「トリ バラ」と呼んで散弾銃の様にタマがばらけます。


よく,三十メートル先で番傘を広げた位に広がると聞かされました。


鳥撃ち、主に山鳥やキジ撃ちに使いました。


この鉄球が八ミリ程の大きさになると「シカ バラ」と呼ぶ主にシカ撃ちに使うタマになる。


そして イノシシ用のタマ「オオ ダマ」は、直径十六ミリ程の大きいタマでこれは


鉛を溶かして 自家製で造ります。


小ぶりの鉄なべを火にかけ、板鉛を溶かします それを長い柄のついたペンチ状のモノで、


例えるならタイ焼きを作る様に生地の代わりに 溶けた鉛を入れて造ります。


冷めた頃を見計らって ペンチを開くとコロンと転がり出て丸い オオダマの出来上がりです。





鉄砲の 薬莢(最近の モノ) 上方はプラスチック状のモノで出来ている


使い捨てなのか、登山道の脇に落ちていました。


昔の薬莢は全て金属製で何度も繰り返し使用した。



上 イノシシ


親父  「イノシシの巣(?)はな、森の中じゃあなくて、尾根の風通しの良い所に作ってあるんじゃ。


近づくと凄い獣臭がするから すぐ解かる。


カヤ(ススキ)の 野原にカヤを踏み倒して寝床を作ってあるんじゃ。


一度 犬を連れて踏み込んだ事が有るんじゃが、もぬけのカラじゃった。


気配で逃げたんじゃろの。


帰ってきたら、連れてた犬に 山ダニがいっぱいたかっててなあ。


イノシシの巣でくっついたんじゃろの、血を吸って一センチ程も赤黒く お尻が膨らんじょる。


無理に引っ張って取ろうとするとダニは咬みついた頭を残してすぐに又成長して来る。


タバコの火を近づけるんじゃ、ダニは熱くて口を外してポロッと落ちるから、踏みつぶしゃあええんじゃ」



二十数年後私は登山中にイノシシの「ヌタ 場」を見つけて親父の話を思い出しました。


谷の湿った土を張り返し盛大に泥遊びをした感じで、強烈な臭い 養豚場の五倍もの臭いを


放っていました。


ここでイノシシは泥遊びをしたのです。 いや、遊びではなく彼らにとっては重要な事でした。


体に泥を一杯つけたまま、イノシシは帰ります。


やがて泥は乾き、ボロッと落ちますその中に体にくっついていたダニが含まれているのです。


タバコの火を近づけてくれる人がいないのでこの方法を思いついたのでしょうか。



(文中 和歌山弁で書いていますが、四国の土佐弁に似てるとお気づきですか。


土佐とはクジラ漁で「太地」辺りから交流が有り、言葉や風習が似ています。


例えば 一部ですが、正月のお雑煮にアンコ入り丸餅を入れるのは日本でも四国と


私の田舎辺りだけではないのでしょうか。汁を飲んだ後にデザートも食べられると思って下さい。


坂本龍馬が使った有名な「ほたえなや」(さわぐなの意)も小学校の「廊下でほたえない事」


と張り紙等でも使っていました。


尚、和歌山の南部では訛りの  ダ行  ザ行が逆ですのでアクセント通りに打ち込むと


未だに 間違えます。


戸惑う事があるかも知れませんが悪しからず)


(づーと続く)


イノシシの食害は大昔からの悩みの種だったのでしょう「しし脅し」等が、受け継がれていますが、


現代では 日本庭園に風流として、残っているだけ。


私の頃には 竹の下にはブリキのイット缶(18リットル) が置かれており、


カラーン では無く ガラン と大きな音を出していましたが、イノシシだってバカじゃあ 有りません


規則正しい 音を出していては、すぐに 慣れてしまいます。


そこで、家からさつま芋畑まで五百メートル余りも長い針金を竹竿を何本も立てて、引っ張ります。


忍者映画に出てくるのは「鳴子」ですが、空き缶に小石を入れてあるのは


何と呼ぶのでしょうか?


こうして一~二 時間毎に針金を引っ張り、ガランガランと空き缶の「鳴子」を鳴らしたのでした。


そんな苦労も、もっと昔の人の苦労を思えば些細な事となります。


以前 テレビ番組「ナニコレ」辺りで不思議な石積みと紹介された、杉林の中に続く石垣。


幅五十センチメートル、高さ百八十センチ程の石垣が三百メートルも築かれています。


これはイノシシ除けの石積みに他ならず、山から下りてくるイノシシを阻止せんと村人総出で


築いた であろう 石垣で 私たちには昔から見慣れたモノなのです。


不思議なのはむしろ、この長さで終わっている事。


完全に防ぐにはあと三倍の長さが欲しい。積まれた石をみると、川原の丸石ではなく


角ばった山の石ばかり、そうか 周りに石がなくなってしまったのかな。


それにしてもこの石垣、崩れずによく現在まで残っています。


よほど、石積みに長けた人が指図したのでしょう。


そう言えば、私の村から更に 山二つ越えた部落は 源平の戦いで破れ 逃れてきた平家の


隠れ部落だったと伝わっています。


「源平の戦い」という事は、義経に追われて逃げて来たのでしょうか?


落ちて来たとは言え平家の一族の一部、お供の者まで入れると百人は下らなかったでしょうし、


お金も持っていたことでしょう。


つつましく暮らしたのではなく、かなり派手に暮らしたと伝わっています。


大きな屋敷跡に未だに残る石垣は隙間に包丁の刃も入らないと言われていました。


カネに飽かして 腕の良い石工が集められその技術が地元に 伝えられたのかも知れません。


平家の話は地元に残る 言い伝えで、本当のところは確証がないのですが、


一度、小学校の遠足で連れられてこの地を訪れた時に、その石垣の石の 上に


 何本もの溝が残って居り、落ち武者が矢じりを 研いだ 跡だと 教わりました。


つづく

石垣と言えば 山間の我が村には 棚田も有りましたので、石垣は沢山有りました。


古い石垣は 野積みに近く、隙間や大きな穴が一杯。


その穴に土を入れて イチゴの苗を植えてあります。


四方を山で囲まれた我が村は 日没が一時間も 早く、太陽が山の向こうに隠れます。


日照不足を補って呉れるのがこの石垣の 石なのです。


日中 太陽で温められた石は 陽が落ちても暫くは暖かく、その間に植えられた


イチゴは温室効果で甘く育つという訳です。


この様に育てられたイチゴを「石垣 イチゴ」と呼びます。


日本 オオカミの話を書こうと思っていたのですが、どんどん長くなってしまいました。


「その 二」につづき ます。