ナンバー 153 ずーと前の話(ワニが逃げ出す) | 堀切光男のエッセイ畑

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主にエッセイ。

昭和四十二年頃の 熱海城


エレベーターも設置されている近代的なお城でした。





下 昭和42年頃の熱海駅と 熱海後楽園




上 駅の後ろにはまだ山がある。 今はホテルがびっしり建っている。



下 東京の後楽園遊園地    昭和30年


左コーヒーカップのような動き。


真ん中のロケットは真っ逆さまに宙返りした。当時五歳だったが、


その時の恐さは未だに覚えている。



下 日光東照宮     華厳の滝の入口     昭和30年




昭和43年頃の「船橋ヘルスセンター」 今の「常磐 ハワイアンセンター」に似ていました。


観覧車やジェットコースターなどの遊具もあった。


お風呂や温水プールの数では負けますが ステージを見ながらの食事も出来ましたし、


潮干狩りも出来て、家族で一日遊べる所でした。





その後、泳げタイ焼き君の流行っている頃に再訪して「山本 リンダ ショー」を観ました。



(リンダちゃん、小生の調理した ソース焼きそばを食べた事があるんですよ。


埼玉の八潮市でスーパーのイベントが有り、ゲストのリンダちゃんが


その真ん前に有った小生の店から出前を取ったのでした。[.狙い撃ち]等で再ブレイクする


ちょっと前でまだ、「困っちゃうなー」と歌っていました)




更に、数年後にはヘルスセンターは 閉館となりその 広い跡地で初めての


「ドライブ シアター」を体験しました。


車に乗ったまま、野外の大スクリーンの映画を楽しむもので、


音声は電波を拾うのでは無く、長いコードを引張って来て昔の車には必ず有った、


アンテナにクリップで接続しますこうして カーラジオから聞けたのでした。


その後どこかの駐車場を利用したドライブシアターをもう一度体験しましたが、


この時はFM に合わせて音声を聞いた様に記憶しています。それ以後は開催したという話は聞きません。


一時期アメリカで、流行った(オープンカーで観ている映画のシーン等よく見ますが)


ドライブシアターも日本では流行らなかったようです。



下 足立区竹ノ塚 駅前商店街 ( 写真は 平成4年)


薬局の右隣に昔「珍来軒」という 中華料理店がありました。


今は有りませんが、その店に


昭和四十一年 小生は十五歳で 住み込み店員として、働き始めました。


下 1966年


珍来軒 店の前はまだ未舗装 だった。





1967年 珍来軒の店内


アリラン漬けとはキムチの事


ラーメンが50円程でしたので、今の10分の1ぐらいの物価でした。


中卒の十五歳の私の初任給は8千円でした。当時は そんなモノでしょう。


しかし、実力の世界。4年後十九歳で5万円、二十二歳で7万円取るまでになったのでした。


その頃の7万円というと今の40数万という所ですが、税金も何も払っていなかったので


(もう 時効です)そっくり使って 独身を謳歌していました。


今 思うとホントにあぶなっかしい限り。夜遊びで酔いつぶれ、目を覚ましたら


キャバレーの寮みたいなアパートで、2、3 人が クスリを打っている。


 勧められたが何とか断って 今がある。風俗で危うくヒモになるところだった事もある。


待ち合わせの場所に車で近づくと相手の女がいた、昼間に見たら明らかに10歳i以上は年上。


あの時車を止めていたら違った人生になっていたかも知れません。



下 若干 17歳の小生、かなり 生意気でした。


鉄を埋めた雪駄履きですよ。歩くとちゃりちゃりと音がするヤツです。今思うと 恥ずかしい限り。

この頃に一人の男性がどんどん 有名になって行くのを目撃しています。


その男性は浅草清川町にあった 易行院に生まれました。


1932年12月29日生まれ。  しかし戸籍上は1933年1月3日生まれ。


後に引っ越して足立区伊興町狭間(通称 寺町)に移ったこの男性の名は


五代目(今は亡き) 三遊亭円楽師匠。


小生が就職した一年後位から毎日の様に目撃する事になります。


お寺の息子だった円楽さん、寺町から竹ノ塚駅までは二キロ程 歩いて30分位でしょうか


ほぼ 毎日、長身( 177センチだそうです)を和服でびしっと決めて


ブツブツと何やらしゃべりながら隣の アラオカ薬局に必ず立ち寄り駅に向かいます。


歳は30歳を過ぎた当たりでしょうか、笑ったら優しい顔になりますが道を歩く姿は


生真面目そうで、恐い顔をしていて とても声をかけられる雰囲気では有りませんでした。


円楽さんは六代目 三遊亭園生に入門したが数年たっても目が出ず一時は


自殺未遂を仕掛けたほどのスランプに落ちたが 母親から「お前は 名人だよ」と褒められ


それがきっかけでスランプを脱出、売れ始めます。


後にその逸話から「名人 円楽」と名乗り始めたが、師匠に 怒られて「星の 王子さま」と替えました。


丁度 その頃によく見かけていたのでした。


そして、よく知られるように 笑点の四代目 司会者を務めるなど、人気者となったのですが、


2009年10月29日 76歳で お亡くなりになりました。




下 1967年 1月東京に20数年ぶりの大雪が降りました。

30センチほどの積雪となりました。



その年の10月 台風4号が大雨を降らせました。


竹ノ塚駅前の道路も冠水しました。左が駅。




その時の大雨で珍来軒のベランダで水槽に入れ飼っていたワニが逃げ出しました。


雨水があふれて水槽から脱出、二階のベランダから下の道路へ飛び込んだらしい。


夜半 道路は四十センチもの水が溜まっていたので難なく逃げおおせたのだ。



2 日後100メートル離れた ため池に「 ワニがいる」との110番通報が有り、下の立て看板が。


新聞社が取材に来て「1メートル50センチのワニ池に出没。 育てば3メートルにもなる」


と新聞に載ったから さあ大変! 小さな池の周りは野次馬で大賑わい。



下 警察のタテカン。


「この池に 逃げ出したワニが居りますあぶないから 水ぎわに近よらないように


姿を見たからと言って手などを出さないで下さい」


と書いてあります。

ワニは 結局 5日後に捕獲された。


お騒がせのワニは改めて測って見たら80センチしかなかった。


下 口を開けているワニ




同じ頃に店で飼っていた日本サルがあろうことか、歌の宣伝に来店していた、


歌手の 仲宗根美樹さん(病葉を 水に 浮かべての「川は 流れる」のヒット曲あり )


の手を がぶりと噛んでしまった。


少し血が出てこの時も大騒ぎしました。





この頃の竹ノ塚駅前は狭くて、路線バスが入って来てもUターンが出来ないので


機関車が方向転換する時に使うターンテーブルみたいな設備がありました。



数年後この駅の上にマンションが建ち店が一室を借りてくれたので、昼間から


お風呂に入り放題で重宝したのですが、隣の部屋に18歳のスクールメイツ(女性グループ)の


一人が入っている事が分かりました。


一度見たきりですが、真っ白い羽毛みたいなジャケットにミニスカートのテレビ画面そのままの姿を


目撃しましたが、何とパトロンがおり、時々訪ねて来てるようで、一気に熱も覚めました。




1966年 湯西川温泉


伴久旅館【右)の前は砂利道のメイン ストリート


左に 釣り堀 パチンコ ストリップなどが並ぶ


とてもひなびた温泉でした。





下 露天風呂の入口に次のような句?が張り出されていました。


「湯の中に  白く 小さく 流れるは  垢 にし 非ず 湯ばな なりけり」



それを見て 小生も一句 作ってみました


「 たそがれの 旅の 窓辺で  君に書く 湯の香  香りし 葉書かな」



深夜一時頃 露天風呂に一人浸かっていると宿の仲居さん達が五人ほども、がやがや入って来て


十七歳の少年は慌てて 逃げ出したのでした。



伴久旅館の露天風呂 (絵ハガキ)


下 1966年 始めてカメラを買う。.ミノルタだったと思う。


うれしくてカメラでカメラの写真を撮りたいがそれは無理。


思いついたのが鏡に映して写真を撮れば良い。


二階が店の御座敷だったので、大鏡があった。


これって自撮りの元祖って事じゃない?




鏡に 映した 写真です。  右手に時計をしているのではありません。