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「怪奇小説集」 遠藤周作

遠藤周作氏といえば「海と毒薬」などだろうか。

その遠藤氏の怪奇小説短編を集めたのが、「怪奇小説集」だ。

以前から評判を聞いていたので、読まねばと思いつつ、これまで読まぬままだった。

購入だけはしていたのだが、なかなか食指が動かなかった。別に読む本が多かったから……というのは言い訳だろう。単に「読みたくなかった」だけだ。これが「何か良からぬ予感を感じて」「手に取ると悪寒が走って」ならば立派な怪奇譚となるのだろうが、全くそう言うわけではないので、なんともいえない。


今回読んだのは講談社文庫版だ。

収録作の幾つかは、実話とされている。

と同時に、どこかメタフィクション風だ。まあ怪奇小説なのだから問題ない。手法がよくありがちなのも、時代を考えれば文句をつけることもない。

なかなかに面白い短編が多く、楽しませて貰った。

有名な「蜘蛛」は前半の談話と後半のグロテスク部分の対比も効いており、予定調和的展開を含めて綺麗にまとまった一編だろう。

また「月光の男」はかの有名な「下山事件」をモチーフにしている。これは元の事件を知らねば少々わかりづらい作品だろう。発表当時と現代の差を感じてしまう。興味がある方は一度調べてから読まれたほうがよいかもしれない。

また単行本「蜘蛛」に収録されていない怪奇短編4編もひねりがあってよかった。


ただ、この遠藤氏の姿勢が鼻につくことがある。

他者の話に「つまらぬ」を連発して、貶める。その実自分の語る(書く)実話といわれるものがあまりに凡庸であることに気が付いていない。多分、それも著者である遠藤氏の狙い・演出なのだろうが。まあ凡庸なのも時代であろうし。


とりあえず、怪奇小説集は「ボクは好奇心のかたまり」を併読することをお奨めしたい。

(「ボクは好奇心のかたまり」は次の機会に)



「4時のオヤツ」 杉浦日向子

杉浦日向子氏のショートストーリー

タイトルの通り、夕方、半端な時間のオヤツにまつわる物語である。

現代のストーリーであるわりに、どこか江戸を感じさせるのは彼女ならではだろうか。


通常、オヤツというのは3時である。

誰も彼も、幼いことからそう教わってきた。

たまに「10時にもお茶と少々のお菓子を食してもよいのだ」というものもいる。イギリスのティータイムのようだ。

確かに午前に糖分を摂るのはよろしい。脳に栄養が行き渡るから。

また子供のオヤツというのは、栄養だけではなく食育としても側面もあろう。大事な物だ。

だが、大人のオヤツ。それも3時を外し4時という半端な時間に愉しむものはいったいどういうものなのだろうか。

栄養や腹ふさぎというのなら、固形の栄養食品で充分だろう。

だが、この本に載っているオヤツたちはそんな素っ気ない物ではない。

どれもこれも大人の「趣味」を感じさせる物ばかりだ。

まるで蕎麦を愉しむが如く。

そうだ。杉浦氏の蕎麦に対する姿勢と共通する物語なのだ。これらは。

たまに鼻につくくらいの「粋」の演出があるのはご愛敬。

大人の愉悦。

それが「4時のオヤツ」だろうか。


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「遠野物語」 柳田国男

昨日は「新釈」だったので、今日は「遠野物語」を。

だれでも気軽に読めると言えば、新潮文庫版か角川文庫版だろうか。今は角川ソフィア文庫もあるようだ。

「遠野物語」「遠野物語拾遺」がセットになっている。

(岩波文庫版は「遠野物語」と「山の人生」がセット。これもこれでナイスなチョイスだ)


『此話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。』

この一文から始まる遠野物語といえば、日本昔話で出てくるような口承民話というイメージがある。

沢山のエピソードはいまでも充分に面白いが、そういった話が大量に収められているだけではない。

もう一つ忘れてはならないのが、「明治四十二年頃の遠野郷」をかいま見れること。

いってみれば、遠野物語は柳田国男の遠野ルポルタージュという側面があるのかも知れない。


気軽に民話として楽しむことも、資料として活用するも、読む人次第。

ただ、読み終えたら実際の遠野を歩きたくなる可能性は高いが。


遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)/柳田 国男
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