3月25日 今日

やっと、
おじさんに会えました


何度か覗いて見ても
不在だった為、
心配をしていたら

日中は、
次に移る避難所を
探したり
無くなった家の周りを
片付けたり

忙しく動いていたそうです


明日、
別の避難所へ移る為、
もうわたしに会えないんじゃないかと、
手紙を用意して待っていてくれました


『恥ずかしいから、
家帰ってから読めよ!』
と、ぶっきらぼうに
笑って渡してくれました



嬉しかったから
載せます

『お酒と、おにぎり頂いたおじさん改めて〇〇です
ご存知の通り、別の避難所に移る事になりました
顔みて去りたかったのですが...
お礼も言えず申し訳ないです
家と内縁の妻を失った分
一人身軽なんで、
何とか生きて行こうと思います
普通の生活に戻れたら
酒でも付き合って下さい (笑)
それでは、どうか身体 大事に頑張って下さい
ありがとうございました

又いつか会えたら幸いです

乱筆乱文にて...』




人と、人との繋がりや
出会いを温かく感じる


どん底に突き落とされても、
絶望からはい上がれる
人間は強い


前を向いて生きてく
人間は強い


未熟なわたしの言葉じゃ
うまく伝わらないことが
とても悔しい

ほんとうに悔しい


気を抜くと涙が出るから

だから、
何かをして動いていないと
息が続かない


おじさん、
今度は、古い瓶に入ったお酒じゃなくて

美味しいお酒で
乾杯しようね


どうか
どうか
元気でいてください


気分の悪くなるような
話をしてごめんなさい


本当に
どうもありがとう




わたしの住んでいる
アパートは
奇跡的にも無事で、

自転車も、
定位置にあった

車も職場の駐車場に
置いていた為、
無事でした


震災から9日目には
電気もついた


もうSCには泊まらず
自分の部屋で
休めるようになった


IHで
にんじんと大根の
お味噌汁も作った


暖かいふとんと、
自分の枕で
眠れる時間を

申し訳なく感じた


水が出ない為、
給水所へペットボトルを抱えて行く

水の重さを
有り難いと噛み締めながら、往復をする


10日分の洗濯物を
コインランドリーで洗う

わたしひとりでも
30キロくらいの量なのに


後ろに並んでいた
おばさんは
7人家族だから、
大変なのよ
って話してくれた

3回、並ぶそうです


でも、
まだ服があるだけいい
洗える服があるだけ
しあわせだよって

サイコロの形をした
キャラメルを口に入れながら話してくれた


卵は、
あのスーパーが安い

午前中は空いてるから
並ぶなら8時前よね

とか、
主婦の情報は的確です



余震は
今も続いています


それでも、
元気に生きています





震災から6日目の夜、

恐ろしいほどの
テレビとラジオが

南三陸町は壊滅的だと
何度も伝え


わたしの希望を
突き落としていた


町民の3分の1が消えたと
報道した


目に映る耳に入る
メディアが全て
敵に思えた


わたしと職場の仲間が
休んでいたスペースの近くに、
ちょうど、父と同じくらいの歳のおじさんが
ひとりでいた


一見、
恐そうに見えたが、
毛布を貸してあげたら
ありがとう助かるよ
と、
にっこり笑ってくれた


おじさんの家は
港の方で

家も流され、
内縁の奥さんも亡くし、


もう、ひとりぼっちだと
笑った


夜中の見回りで
深夜に起きるわたし達に
『疲れないようにね
ご苦労様ね』と声をかけてくれた


震災から一週間が経ち


わたしの疲労とストレスは限界でした


たまたま近くにいた
おじさんに、
自分の地元は南三陸町だということ


もう、
町がないということ


家族に会えていないこと


この場所は
正式な避難所ではないのに、どうして被災者の方達は、ちゃんとした避難所に行かないの?


お店の営業の目処は
経っていない
いつ営業を再開できるの?


不安と不満を
洗いざらい話した


自分勝手な
最低な愚痴を、
被災者であるおじさんに泣きながら話した

おじさんも、
泣きながら聞いてくれた


涙を流しながら、
『がんばろう
お姉ちゃん生きてるんだから、がんばろう』
と、握手をしてくれた


実家で、
父と母におじさんの話しをしたら、
大きいおにぎりをふたつと、
父が、瓶にお酒を入れてくれた



石巻へ戻り、
いつもいる
おじさんの寝所へおにぎりとお酒を渡そうと
伺ったが、
不在だった為、
おにぎりとお酒、
手紙を残し

自宅へ帰宅した