10月。
7日に久しぶりの外来があるので少し緊張します。弁膜症はなかなか自分では分からなくて、検査結果が出るまで本当に分からないので、それが恐いところではあります。
入院前は手術が必要になるぐらい悪かったはずなのに、弁膜症についてはほとんど自覚がありませんでしたしね(詳しくは過去の記事で書いています)。
病院にちょっと緊張したり、採血がちょっとだけ怖くなるというのは、きっと健全なことなのですね

以前みたいに食べたい放題やるとすぐに不調になったり、睡眠をとらないと偏頭痛が出たり、息切れで胸(肺?)がしんどい感じがしたり、前よりは弱ったなぁ、と感じてはいます。
けれど、前とは違って、それは不安ではなくて、ただの実感です。
仕事もそこそこに出来ていて、なんとか自分ひとりを支えるくらいの生活は出来るようになりました。
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最近、病気と仕事のことで、一つ思うことがあるんです。楽しくない話ですが。
それは、病気を言い訳にして働かないこと。
身内の話ですが、どんなに善意的に見ても、怠けているとしか言えない。
ご家族から聞く限り、手術をして以来、「病気なのではないか」という不安に囚われていて働かないのだそうです。息が切れるとか、疲れるとか、そういうこと。けれど、実際、からだはほとんど元気なので自分の好きなことはやる。身体症状がなくやりたい放題、しかもすでにかなり長い期間にわたっていて、ご家族はいつその「療養」が終わるのか見通しがつかないまま。
経済的にも、奥さんが働いたり、工夫をしてなんとか支えている。
シビアな話、老後の話なども差し迫っている。
自分のときや、他の人から聞いた話、ブログの方々と比べてしまうんですね。
病気を抱えながら働いている人もたくさんいるし、病気のために仕事が出来なくなった方もいる。
他の人の考えや思いのすべてを分かっているわけではないですが、そこには覚悟なり決意があるのは間違いがない。
家族、友人、理想、いろいろあると思いますが、誰もが何かを背負って生きている。
私も、順調に回復したほうかもしれないけれど、それなりにつらい思いもして、腹をくくってやってきた。
それなのに、と比べてしまう。
息切れや疲労感というのが似ているだけに、私はなおさら腹立たしく感じてしまうのかもしれませんね。
もちろん、比べても意味がないこと、その人の生き方はその人のものでしかないということは理解しているつもりです。その人はその人でつらい思いをしているでしょうし。
それに、私がそういう意見をする立場にないこともよく分かっています。他人の家庭ですからね。
けれども、とにかく、ご家族が大変だなぁ、と。
なんとかならないかなぁ。
その人の不安に寄り添うことが必要かもしれませんが、寄り添いつつその人のデリケートな部分(仕事のこと)に触れて、しかもそれで前を向いてくれるかどうか、と考えると、悩ましいところです。
私ができることといえば、会ったときにお話を聞くことくらい。
まわり(ご家族)が先に潰れてしまうんじゃないか、って、心配しています。
いわゆる「甘え」の話ではありますが、それでもほとんどの人は当てはまらない話だと思います。あらゆる病気の可能性を除外したさきに出てくる、「やる気」という問題。
そんな話もあって、「私は私の出来ることを頑張らなきゃな」という思いを新たにした今日この頃です

もやもやしていましたが、書いてすっきりしました。つまらない日記を失礼しました。