入院中、ストレスが無かったとは言いませんが、誰かに腹が立つということはありませんでした。
けれど一度だけ、はっきりカチンときたことがありました。
カテーテル検査で大変なことになって、まだ胸に電気ショックの痕がくっきり残っているころ。
大変なことというのは、心室細動が起きやすい血管にカテーテルが入ってしまったために瞬間的に心室細動が起きて、胸骨圧迫と電気ショック(除細動)を受けたということです。
万全の体制のもと、迅速な処置が行なわれたので何ら問題はなかったわけですが。
これはこの日記で何度も書いている話ですし、大げさな書き方ではありますが、たぶん入院中で一番落ち込んだ出来事でした。
仮にも致命的なレベルで大変なことになって、肋骨が折れるかも知れない胸骨圧迫を受けて、意識があるなかで相応の強さの電気ショックを受けた直後でした。いままでそんな体験はありませんでした。さらに、主治医から間髪入れずに手術の必要性を説明され、覚悟はしていましたが、少なからず落ち込み、打ちのめされていました。
後日両親が面会に来てくれたとき、もちろんカテーテルと食道エコーの話が出ました。
私は両親を心配させまいと思って「ちょっと大変だったけどね」くらいにぼかして伝えました。
すると、父が「終わったことだよ」と言ったのです。
「ああそう」と受け流しながら、その瞬間に「はああああー!?」という怒りが沸騰しました。
そりゃ、のど元過ぎれば熱さもなんとやらと言うし、忘れて切り替えるに越したことはないですよ。
父の性格は多少なりとも分かっていますし、そういう父なりの励ましであることは理解しています。
でもね、他人の痛み、つらさを想像できないからそんなことが言えるんだよ。
私はロボットじゃないんだ。
分かりきった正論を「お上」から与えられて、そのままハイって実行できるんだったら、どんなに楽なことか。
そんな思いが一気に噴き出しました。
この話、誰にも言えなかったので、ようやくこのブログで怒りを発散することができました(^^;)
父には感謝していますが、こういうところだけは今でも認められません。
その怒りと同じくらい、「我がふり直せ」ということなんだな、と強く思いました。
正論が人を救うとは限らない。
分かりきった正論ならなおのこと。
それは傲慢にもなりかねない。
本当に学びました。
胸にしまっておけ、忘れてしまえ、というタイプの話ですが、一つの負の思い出として書いておくことにしました。