7月9日、月曜日。晴れ。
朝4時00分起床。
検査無し。

ぴったり一週間。
肩口はまだまだ痛みます。

こんなもの読まないでいいです、と言いたくなるくらい長いです。色々な出来事があったし、頭のなかはお花畑のポエムモードで恥ずかしいけど、出来事と気持ち、全部書いておきたくて、勢いのまま書きました。

話としては、明日の退院決定、退院に向けた、ワーファリン、傷の処置の話。これだけなのだけど、お別れの挨拶回りをしたのでこの思い出が長すぎる。

………………


ね、眠れない。
退院が近づいたとたん、入院環境に適応出来なくなってしまったかのよう。

痛み止め、睡眠導入剤をもらってもよいのだけど。


夢を見ていた。

ニューヨークのデパート(勝手にそう認識している)にいて、気がついたら大阪にいて、執事役の男性が刑事に呼び止められ、車に乗り込んで脱走するという、変な夢ばかり見ていた。


早朝、外に出てみた。

いや、ダメなのだけど、自称優良健康児の私は守衛さんにもいつも見逃してもらっている。


夏の空。高い雲。
これから崩れるとは信じられないくらい透き通った青。(結局、今日一日雨は降らなかった)

早起きは三文の徳!
そして、入院していると、その三文のありがたみが沁みるのよ……(渋い顔)。

外でホットドッグを食べていたら(こら!)、手術室の看護師さんと再会。
お世話になったのに、のんびりホットドッグ食べててごめんなさい。

「あっ、ありがとうございました!」
「よかったです」

やっぱり不思議な雰囲気だ……。若干「誰?」ってオーラ出てるけど、あなたに助けられたのですよ……照れ


朝、心外科の先生たちが来た。

火曜日に退院したい旨を伝えてみた。
思いつきで。
病院食がいよいよつらくなってきたし、体調的にも一人で帰れそうだし、入院を延ばす意味は無いなと。

「分かりました。ちょっと確認してみますね」

(その後、ワーファリンの量を調節する採血があるので、水曜日がいいという話が昼頃きて……夕方また希望通り明日退院ということになった!)

あとで大人しそうな先生が一人いらして、リードを抜いていただいた。

「ドレーンの痕がまだ治りきってないですね」
「ドレーンの痕がまだ治りきってないですか」
「メスの傷とはどうしても違いますからね」
「違うんですね」

なんというおうむ返し……

そして、パチンパチンとなにかを切って、

うわわわわゆっくり、ゆっくり、引っ張ってるーー!
お腹が動いてるーー!(>_<)

「いやぁ、どきどきしました」
「心臓に達してますからねぇ」

はぁ、怖かった。


リハビリの先生はおやすみ。


朝10時頃、薬剤師さんが来た。
「おはようございます。どっすか!」
「元気です!」

心臓について。
弁の処置をしたことで、感染性心内膜炎が再発するリスクはほかの人よりも高い。気を付ける必要がある。

虫歯。一週間以上の微熱。断続的な発熱。

ワーファリンについて。
・まず納豆ダメ。納豆菌はお腹のなかでビタミンKを大量に生産するので、本当に困ったことになる。
・緑系の野菜、青汁、クロレラ、グリーンスムージーなどにもビタミンKはあるけど、日頃の摂取量に変動がなければ問題ない。
・ただ、ある日だけ大量に食べたりするのは良くない(ダメとは言わない)。
・後日ワーファリンの本を渡す

今後の薬の予定。
・まず抗生剤が切れる(摘出したゆうぜいも、培養しているが、死滅したと考えられる)。
・つぎに3ヶ月ほどでワーファリンが切れる。
・最後に、心臓の負担を和らげる薬が切れる。「いわば心臓のブレーキを踏むのではなく、アクセルに制限をかける薬」だと言っていた。したがって無理な運動はダメ

日常にそこまで制約がつくことはないし、形成した弁を再手術する可能性も、可能性にすぎないけど低い。まずは日頃気を付けること。でも不安になりすぎないこと!

ありがとうございました!


10時40分、看護師さんが来た。

朝の挨拶のときに頼んでいた、概算が来た。
目玉が飛び出……るほどではなかった。保険が効くとはいえ正中切開とMICSでは点数が違うのでは、とか、よくわからない心配をしていたけど、それでも思ったよりはお安い。

傷の処置について。
・切った場所のテープはかさぶたの代わりなのではがしちゃダメ。でもはがれたら仕方ない。
・傷口は、シャワーを当てて、優しい水圧で洗い流すほうがいい。顔と同じように、石鹸で優しく洗う(洗った方がいいんだ! こわい!)。
・胸のテープ二ヶ所(リードとドレーンの痕?)ははがしてもいい。不安なら、入浴時などにその都度貼り直してもいい。


いやはや、今日は大事な話ばかりで頭が休まらない。

それから、アニメ、ドラマを見たり、本を読んだり、コンビニで買ったゴルゴ13を、読んだりしていた。

夕方4時半、お風呂に入った。
シャツが脱げない。
胸が痛すぎて。
おそらく、今後いちばん悩まされる動作。逆に、ほかはあまり困ることはない。うっかり痛む動きをしてしまったりすることはあるけど。

やはりドレーンの痕は治りきってはいないようだ。痛む。
さっぱりしてから、あらためて傷の処置を教えてもらった。

今日の看護師さんは明日いないのでお別れ。
ご挨拶。

5時頃、心外科の先生がきた。
明日退院ということで!
はいどうもー!

一瞬で終わった(笑)

でも、去り際に、

「じゃ、外来で抜糸するのでー」

((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


ふええええええええ!!


ハイテクなこのご時世、糸は皮膚に馴染むとか、そういうものなのかと思っていたら、やっぱり抜糸なんだ! あるいは抜鈎なのか。

いやいやいや。
こわいな。


6時前。看護師さんがあいさつに来てくれた。明日は居ないからと。

さみしくなるなぁ、などとずーっと下らないことをぼやいていた。

例えばホテルと違って、「また来ます」なんて言えないし。


食事を済ませて7時前。
清掃のおばちゃんに挨拶。

入院中よくお話しした。
2ヶ月以上お世話になった。
面白い話もたくさん聞いた。

「あの小児科の看護師! 4月くらいから小児科に来たのね。きれいだけど、あたしたち(清掃)にぶっきらぼうなのよ!」
「たしかにきれいだけど、顔つきに出るものですねぇ」
「ああいうのに引っ掛かっちゃだめよ!」

なんてね。

明日は休みなので、今日でお別れ。
ありがとう!


さっきの看護師さんとまた会った。
母が来てくれたのだけど、看護師さんとはもう会わないので優先。「こちら、本当にお世話になった看護師さんです」と紹介してから、「デイルームで待ってて!」と追いやった(罰当たり)

お世話になりました。寂しくなります。
頑張ります。
さっきと同じこと。
我ながら、つまらない話をしてしまったなと反省した。
入院中も、不安とか、よくお話を聞いて下さるかたで、だからこそ気持ちの安定を保てたのだと思う。
最初で最後、中身のあるお話も聞けて嬉しかった照れ
大変なお仕事だものねぇ。

「呼び止めてごめんなさい! お気をつけて!」
「ほんと、明日お大事にね」

と言って別れた。


夜7時半。30分近く話したわけだ……。
デイルームで母を迎え。
「超お待たせ!」

ナースステーションで、薬剤師さんが帰り際だった。

薬剤師さんに紹介。「見ての通り、母です」
母に紹介。「こちら、一番時間を割いて説明してくれた薬剤師さん。感謝して」

貼り薬を内服に切り替えるなど、明日の説明を少し先回りして話してくれた。

薬剤師さんに「私が言うのもあれですが、気をつけて帰って下さいね」と言ったら、爆笑していた。明日もお世話になります。


隣の病室にご家族が居られたので挨拶。遠方からこちらで入院、奇しくもそれによって災害を免れたという。因果は分からないものだなぁ。

「助けられた命、お互いに大切にしましょうね」

年は違っても、思いは同じ。


それから母に荷物引き取りを頼み、明日は最低限の荷物で帰れるようにした。

母を見送り、デイルームで本を読んでいたらすぐに9時の消灯。
病室で、明日のことを考えた。


一期一会という言葉を、入院生活のなかですごく感じた。あるいは袖振り合う縁というものかもしれない。わずかな縁も、前世の因果なのだろうか、なんて、超自然的なことを考えてしまう。

それは人生を生きるうえでの宿命。とてもさみしくて、だからこそ大切にしたいこと。

考えすぎ、妄想、と言われたら、その通りだと認めるしかないけど。私は、この入院生活のことを一生忘れないでいると思う。


10年後、20年後、お世話になった看護師さんや、病室仲間のみんなのことを思いだして、「ああ、あの人たち、元気にしているかな」と思うときがあると思う。

今からそのときのことを考えてしまって、とても切ない気持ちになる。私が「寂しい」と言うのは、たんに今寂しいわけじゃない。

私の未来を切り開いてくれた、よく知らない人たち。私にとって看護師さんはそういうこと。そういう仕事だと言ったらそれまでなのだけど、私はずっと忘れない。

先生たち、病棟・手術室・ICUの看護師さんたち、リハビリの先生たち(挨拶できなかった)も、助手さんも、掃除のおばちゃんも、事務の人も、コンビニの人たちも、何十回と見逃してくれた守衛さんたちも。

ありがとう。

いつか会えたらいいね。

一方的にそう思う(笑)


ベッドで横になった。

これまでのこと。これからのこと。
いろいろな考えが頭を巡って、眠れなかった。

今まで何人も見送ってきた私も、やっと見送られる側になるんだ。


夜22時就寝。


したつもりだけど、2時まではほぼ起きていた。