7月8日、日曜日。晴れ。
朝4時40分起床。
血液検査。


就寝時の痛み止めを止めたら、あまり眠れなかった。おそらく入院中最悪。
空調、なぞの高音(聴力検査の高音、頭が痛くなる)、きずの痛み。

夜9時に寝て、10時に起きた。
それからうとうとしていた。
気がついたら夜中の2時。
痛み止めをもらって、うとうと。
そして4時半に起きた。
(うとうとって、先人はうまい表現を考えたものだなぁと感動した)


朝5時、採血。
凝固が一本だけ。よく分からないけど、ワーファリンの量を決めるためらしい(午後、ワーファリンが四錠から二錠になってました照れ)。


今度こそ退院、一段落つくと信じて、暇すぎる日曜日にまとめ的なことを書いておきたいと思う。



私は臆病なので、入院中「退院したい」と本当に思ったことはなかった。
たしかに退院したかったけど、外出をしたときに、階段を上るだけでもだるかったし、このままでは日常には戻れないのは明らかだと悟った。学生以来使ってきた新宿駅の南口があんなにつらく感じたのが、本当にショックだった。だから、しっかり治すべきだと考えざるを得なかった。

それでも、手術をしてよかった、と思えるのは、もう少し先のことだと思う。


半年前には旅行だハイキングだと言って遊んでいた。12月に一人で日光を駆けずり回ったばかりだった。

そのとき逆流が問題だと言われても、私は手術など考えなかったと思う。心拡大が起きてからでも遅くはないと思い込んでいた。いや、手術という選択肢から逃げ続けていた。

僧帽弁閉鎖不全と言われたのは小学5年生のときだったと思うので、すでに15年近くは経つ。今まで何ともなかったという事もまた、手術から逃避する口実になっていた。

けれど実際には、若さが、体力が、弁の不具合を補ってくれていただけだった。そして手術をした今は、無理に補ってもらう必要が無くなっただけのこと、と言ってしまえばそういうことになる。

けれど、もし放置していたら、体が衰え、30代、40代、いつか心不全症状が現れていたはず。心臓もダメージを受けていただろうし、寿命も短くなっていたのは間違いがない。取り返しのつかないことになっていた。

その意味で、感染性心内膜炎は、私に手術の機会を与えてくれたのかもしれない。形成術後の経過がどうなるかは分からないけど、少なくとも治さなかった場合よりは、予後は良好だろうと信じたい。そのためにもアフターケアをしてもらう。


治らない微熱。高熱。心雑音。
おかしい、と気がついたこと。

循環器内科のクリニックに飛び込んだこと。いまの病院を紹介してもらったこと。抗生剤を長めに投与してもらったこと。退院せず待っていたことで、手術予定が一気に早まったこと。

色々なことが繋がって、今がある。


本当に、私は生かされているなと感じた。


いつか、近いうち、この手術を受けてよかったと思える日が来るだろうか。

悪くなり過ぎる前の、予防的な手術だったから、それは欲張りな考えかもしれない。

でも、また日常に戻れたなら、心臓に、手術をしてくれた先生に、感謝しないといけないな。


………………


コンビニで耳栓を買ってきた。
高音対策。

夜。
デイルームにあった、『美味しんぼ』を読んだ。漬け物が食べたくなった。食べたいものが増えた。

循環器内科の先生が声をかけてくれた。
心雑音がどうなったか、こんど聴診してもらうことになった。


あと数日。
そうしたら、また遊ぶぞ!
仕事も整理しないと。

現実が迫って来るぞ!
70日ぶんだ!
ひぃー。



夜21時就寝。