6月26日、火曜日。晴れ。
朝6時00分起床。
検査無し。


最近起きるのが遅い。
不安で眠りの質が落ちているのか。


抗生剤は錠剤になった。
カテーテル時に採った血液培養も陰性。
熱も出ていないので、血液検査もない。

リハビリのバイク。
つらいな。

気持ちの問題だと思っていたのだけど、そうでもない気がする。心臓とか、睡眠とか、その辺じゃないかなぁ。


と、先日顔を合わせたばかりの心臓血管外科の先生が来た。


オペのスケジュールが空き、手術の日程が早まった。
三週間後だったのが、来週すぐになった。16日も早まった。

まず心の声、「ぎぇーー!!」

…………とはいえ、現状つらさが出てきているし、長々と入院している意味はない。

早く治してもらえるのは幸運。

そう考えて、迷わずその予定で頼んだ。
いや、理性では分かるし喜ばしいけど、気持ちが着いてこない。
すでに、切開されるであろう胸骨の正中が痛む気がする。

手術はやはり怖い。とくに、術式など、具体的な話はまだ聞いていない。


塞翁が馬というのは、私の好きな言葉なのだけど、なかなか実際そうは考えられない。

なにが災いでなにが幸福なのか。それはその時には必ずしも分からない。そのことを見抜き、何事にも動じなかった塞翁のようにありたい。


もう、考えることは考えた。
このブログでさんざん書いた。
あとは、なるようにしかならない。


看護師さんに打ち明ける不安もだいたい同じことになってしまっている。

術直後の不安。
退院後の不安。
5年後、10年後の不安。
一生の不安。

これからは、不安を抱えながら生きてゆく。


私のささやかな人生に、とんでもない重荷が課せられたものだ、と、心底落胆した。

けれど、不安のために人生を浪費するのは間違っている。誰にとっても限られた人生の時間を、どう使うのか。

私は、よりよく生きるために限られた時間を費やしたい。

弁の選択、術式の選択も、その視点に立たないと。(と言っても、あまり選択肢は無いけど)


明日から手術に向けた検査が始まる。
検査のなかにはつらいものは無いらしいが、いよいよ手術かという実感が湧いてきて怖い。

いまの怖さの原因は、形成か置換か、そして、手術のあとの苦しみ、これに尽きる。
目先のことに必死で、それから先にある不安はまだ眼中にない。

そんななか、コメントを頂いたり、ブログを読んで励まされている。
なぜなら、その人たちはその苦しみを乗り越えているから。


どうか、術後苦しみませんように。



夜21時就寝。