6月24日、日曜日。雨。
朝5時00分起床。
検査無し。
いつも以上に長いです。

ほんと、起床時間がいつもぴったり。

向かいにやってきたおじいさんがだるそうなので目が覚めた。
で、しばらくしていたらドサッと音がしたので起きると、おじいさんが倒れていた。すぐに看護師さんを呼んだ。
失神だったのか、すぐに落ち着いた。

6時になっても誰も起きないので、30分ほど、デイルームで本を読んでいた。

外出なのだけど、依然体調は優れず。

思いきって、外に出てみた。
本当はダメなのだけど。

気持ちのよい雨。屋根のしたに居るぶんには。

がん患者の人と話をした。60歳くらいか、白髪で威勢のよい感じ。電話をしながらタバコを吸ってきたらしい。このにおい、看護師さんにばれるに違いないニヤリ

そのおじいさんは、今日退院なのだけど、今後も外来通いで大変なのだという。あちこちで症状が出ていて、いたちごっこの状態らしい。

心臓の手術もなさったとのこと。大変だ。
にもかかわらず、「タバコも酒も、体が受け付けなくなるまでやる、それが自分の生き方だ」と言っていた。

愚行権と言うけど、人は寿命を延ばすために生きているわけではない。その人の生き方がある。リスクを正確に知ってなお、それを侵すと言うならば、それも立派な人生なのではないか。

私はそう思った。


おじいさんは、ふと厳しそうな表情を崩して、

「お互いに頑張ろうな」

と言って、病院内に戻っていった。
病棟も違うし、今日退院とのこと、もう会うことはないだろう。

ぼけーっとしていたら、朝の看護師さんがやってきて、病院の建物から出たのがバレた。


朝食、味噌汁と牛乳以外手をつけなかった。
お腹が張っているのか、食欲がない。

点滴代わりの錠剤が出た。

・セファクロルカプセル250mg「JG」
・ミヤBM錠


10時30分、外出。
忘れ物にわたわたしながら、本の返却などをした。

母とファミレスに入ったが、食欲がない。ドリンクバーとコーンスープだけを注文する。母はドリンクバーとホットケーキ。少しホットケーキをもらった。

明日の話をした。伝えたのは以下のようなこと。

・明日、外科の先生から話を聞く
・場合によってはそれから転院を考える可能性もゼロではない。ただし、その場合も迷走はしないようにする
・おそらく正中切開で、術後数ヶ月は社会復帰は難しいかもしれない。今年いっぱいは療養期間と考える
・回復は気合いの問題でもあるが、心臓手術は肋骨を切るなど、体への負担も大きい。回復はそう早くは行かない。(気合いが無ければ回復は遅れるだろうが、気合いがあるほど早まるとは限らない)
・出来れば、術後回復の点からより低侵襲の術式が望ましいし、弁置換よりは弁形成がいい。けれど、適応しない(出来るには出来るが、よりリスクがある)場合はあきらめる
・弁置換の場合は機械弁を考えている。先生と相談する
・仕事は再入院までにけりをつける

ほかに大切なことは無いだろうか……考えることだらけだ!(さらにお金の話もある!)

昼、姉が合流して、マグロ丼を食べた。姉は冷麺、母はホットサンド。なぜか食欲が回復した。トイレに行ったからだろうか。

それから少し雑談をして、14時30分に帰ってきた。やはりゆっくり歩かないときつい。

毎回、外出から病院に戻るとふらつきが出る。足元が沼になったような感覚。しかし地面はそこにある。
それも、しばらくすると収まった。


はぁー。
寂しいな。

社会に復帰したいけど。
お別れも寂しいよね。

旅の終わりのような寂しさ。
去ろうとする街の、私のいない明日を想像してしまう。そんな寂しさ。


2ヶ月の入院中、私は何人もの患者を病室から見送った。

手術に臨む人、転院してゆく人、転科のために他の病棟へ移動していった人、健康になって退院していった人。

そして今朝のがんのおじいさん。

みんな、どういう人生を歩んでゆくのだろう。やっぱり私は人が好きなんだ、と実感した。


明日のことを考え、いろいろな意味でそわそわしていた。

廊下を行ったり来たり、窓から外を覗いたり、本を読んでみたりしていた。

しかしなにも手につかない。

考えはある程度整理出来てはいる。
眠るか…………。


夜21時就寝。