人知を超えた天災は、万物ことごとく塵芥へと化す。

豪雨と大地震に被災した少年が、救助されて以降ふたつのパラレルワールドを生きるようになると云うストーリーであり、愛と痛みと哀しみと、家族の慈しみが綾をなす素敵なSFであったと思います。

苛烈なる災害の果て、片方の世界では父が生き残り、もう一方では母が生き残る。そしてふたりは、幼い少年を通して言葉を交わし想いを伝える。ラストは愛情胸に迫るものがあり、小林泰三小説としてはなかなか珍しい読後感であると言えるでしょう。

死者は死者だと弁え愛する者への想いを御すのが供養なのかもしれないけれど、見えずとも触れずとも違う世界で生きていて欲しいと願うのもまた人情なのだろうと思ったものでした。


 

 

 

内容

お父さんとお母さんとヒロ君

第一部

第二部

お母さんとお父さんとヒロ君

 

 

梗概

降り続ける大雨と途轍もない大地震により、老朽化したダムが決壊した。そのとき職場にいた坂崎良平は、妻・加奈子と息子・裕彦の身を案じるあまり、単身会社を飛び出して自宅へと向かう。しかし、凄まじい豪雨と土石流が坂崎の行く手を阻んでくる。実際、多くの人々が土石流に呑まれ、坂崎の目の前で命を落としたのだ。

それでも何とか自宅にたどり着くが、家はすでに崩壊してしまっており完全に瓦礫と化していた。坂崎はそのなかで必死に家族の姿を探す。そしてついに泣き叫ぶ息子の姿を見つけ出すが、一方で妻はすでに事切れていた。

悲しみをこらえながら、坂崎は裕彦の手を引いて避難所へと向かう。しかし、救助して以降裕彦の様子がどうも怪訝しい。いる筈のない母親に手を引かれるように片手をあげたり、まるでそこに母親がいるかのように虚空に向かって話しかけたりしている。目の前で母親を失ったショックであろうかと案じるも、どうもそうではないようだ。詳しく話を聞いてみると、およそ信じがたい事実が判明したのである。

 

 

第一部

どういう理屈か、少年はこの震災を契機として、同時にふたつのパラレルワールドを生きるようになっていたのでした。こちらの世界では母親が亡くなって父親が生き残っており、もうひとつの世界では父親が亡くなって母親が生き残っているという。そして両親は、幼い息子を介して言葉を交わし、互いの存在を確かめ合うようになります。

そんな数寄な運命をたどる事になった家族。

そこにはこの非現実な状況における疑惑と戸惑い、天災に対するやり場のない怒り、その被害状況を目の当たりにした時の虚無感、そして超常的な現象とはいえ愛する者と再び通じることのできる一条の歓び。この家族のみならず、読んでいるこちらもそうした様々な感情が綯い交ぜになった第一部のラストでした。

 

 

第二部

そこから第二部に入ると、第一部とは異なる展開が始まり、雰囲気がガラッと変わった感がありました。ここでは少年と同じように震災以降に二つの世界を生きる男が現れますが、この男は家族のコミュニケーションのためにその特性を使う少年とは違い、己の私利私欲を満たすために力を悪用する無愧者であったのです。もっとも、その力の使い方は中々どうして想像の埒外であり、端倪すべからざるものがあります。そしてそこから始まる異能バトルは、どこか『殺人鬼にまつわる備忘録』を彷彿とさせる趣。最初の方こそ、第一部との落差にやや面食らった感がありましたが、その先は小林泰三小説らしい奇想感が繰り広げられており、読み進めるにつれ胸の高鳴りを覚えます。

そしてラストは小林泰三小説には珍しく親子の情愛が胸を打つ結末。一方の無法者の末路は、繰り返される痛みの無間地獄であり、それは想像するだに恐ろしいものがあったのです。どこか『ティンカー・ベル殺し』のラストが思い起こされました。

 

 

本書は、東日本大震災のチャリティーアンソロジーとして執筆されたショートショートがオリジナルであり、それを長編に仕立て上げたという経緯があるそうです。震災の恐怖とその被害を目の当たりにしたときの絶望感、愛する者を失ってしまう哀絶、たとえ違う世界であったとしても生きていて欲しいと願う慈しみ。一寸先の闇と一筋の希望。それらが綯い交ぜになっており小林泰三小説には珍しい読後感なのですが、それでいて小林泰三小説らしい奇想が遺憾なく発揮された、唯一無比のSFになっていると言えます。

すべてを燼滅する災厄の前には、絵空事を綴った小説など無用の長物なのかもしれないけれど、それでも傷ついた人たちの心に寄り添うことなら出来るのかもしれないと思ったものでした。そして最後まで読み終えた後に、再び表紙の家族三人を眺めると、あまりにも胸に迫るものがあったのでした。

 

 

読了:2024年5月18日