京極夏彦先生の名著『巷説百物語』シリーズのコミカライズです。

全四巻。この巻では『巷説』『続巷説』から二篇ずつ、時系列に沿った流れで、計四篇が収録されています。「小豆洗い」「野鉄砲」「白蔵主」「狐者異」。基本的には原作のプロットに忠実に描かれていますが、ところどころアレンジが加えられています。特に「白蔵主」なんかは、原作より悲惨さが増したような印象でした。

珠玉の百物語四篇。コミックでも『巷説百物語』が楽しめます。

 

 

 

 

内容

小豆洗い(『巷説百物語』所以)

野鉄砲(『続巷説百物語』所以)

白蔵主(『巷説百物語』所以)

狐者異(『続巷説百物語』所以)

 

 

道を通せば角が立つ。倫を外せば深みに嵌まる。

どうにもならない憂き世の闇を、妖怪仕立ての狂言芝居で丸く収めるがその稼業。

惨たらしい赤児殺しも、火気に狂った哀れな女も、真実を真実のまま知らしめたところで遺恨は消えない。それならば、邪心も野心も妖怪の仕業に仕立て上げ、遺恨の代わりに残すは巷の妖しい噂。又市一味が、諸国を股にかけ、憂き世の闇を散らしてゆく。

 

そんなストーリーの『巷説百物語』シリーズ。小説としては絶賛連載中の『了巷説百物語』を含め七作が上梓されており、このコミカライズはそのうちの無印『巷説』と『続巷説』を漫画化したものになります。

『巷説百物語』はアニメやドラマでの映像化が制作されていますが、いずれもストーリーやキャラクターや時系列などに相当変更が加えられていました。それらに比べるとこのコミカライズは、かなり原作のプロットに沿っていると言えるでしょう。中々どうして新鮮に感じられたものでした、ここまでストーリーそのままのビジュアライズは。

 

『巷説』所以の「小豆洗い」と「白蔵主」は基本的には仕掛けられる側視点であり、『続巷説』所以の「野鉄砲」「狐者異」はほとんどが蠟燭問屋の若隠居・百介視点で描かれています。それぞれ原作がそうゆう構成であり、ここではそれらが入れ違いに収録されている訳ですが、それでも特に違和感を感じずに読み進められたと思います。もっとも、これが3巻や4巻くらいになってくると、ちょっと妙な感じはしてくるのですが。

まぁこうゆう小説のコミカライズって難しいんだろうなって思います。単に原作のプロットに絵を付ければいいってだけの話では当然無いでしょうし、だからといって変に変えてしまうと原作そのままの方がいいって事にもなるのでしょうし。取り敢えず、この一巻はこれくらいのバランスで丁度いいのかなって思います。

 

 

絵柄や人物描写は割と好き嫌いが分かれるかもしれません。自分の場合は、又市や百介は特に何も思いませんでしたが、事触れの治平は中々いい感じの小悪党爺に描かれていて好印象でした。

そして何気に「狐者異」の田所が独特の面相であり、それが妙にじわる。「狐者異」と「死神」にしか登場しないのが惜しいくらい。原作を読んでいた時はそれ程印象に残ったキャラクターではなかったのですが、この漫画の所為で小説を読み返すたびに必ずこの造形が頭に浮かんできます。

 

 

そんな『巷説百物語』最初の四話をコミカライズした一巻目。画が付いたことでミステリー的な要素や快感は逆にやや薄まったような感がありますが、それでも『巷説』シリーズで描かれている闇の深さ業の深さ、そして底すら無い哀しみが窺えたとは思います。

小説『巷説』シリーズのほうも完結が目前であるし、その「了(おわり)」を前にコミカライズで「百物語」を振り返るのもまた一興ではないでしょうか。

  

 

 

小豆洗い

越後の山中、ひとりの僧が雨に打たれて難渋していた。雨足は強まり川の流れは勢いを増すばかり。進退窮まった僧の前に現れたのは、御行姿のひとりの男。男は、下流にある山小屋の存在を案内してそこで雨宿りすることを提案する。そして僧は男の助言に従い、その小屋を目指してゆく。無事に僧が小屋にたどり着くと、そこでは既に十人ほどの男女が雨を凌いでいた。

袖すり合うも他生の縁。数奇な縁の有象無象は、一夜の座興として百物語を始めるのであった。

 

 

野鉄砲

蠟燭問屋の若隠居にして戯作者志望である山岡百介は、兄・軍八郎に呼び出され、八王子を訪れていた。軍八郎の同役である浜田毅十郎が変死を遂げたため、第三者の意見を乞いたいというのである。死体の額には石がめり込んでおり、これが凶器と断定される。しかし、火薬や投石機を用いたものではないようだ。よもや、狐狸妖怪の仕業ではなかろうか。百介はこの事件に関して、又市ならば何か知見を持っているのではないかと思い、江戸へと引き返すのであった。

 

 

白蔵主

深き野山に猟師の弥作。弥作は江戸から歩き詰め、甲斐の山奥にある宝塔寺へと向かっていた。宝塔寺へはあと少しという段に及んで体力の限界を感じた弥作は、狐杜に入り身体を休めていた。そこに狐の面を被った見目麗しい女が現れる。女によると、宝塔寺では代官所の手入れがあり、盗賊の頭目が捕まったという。女と言葉を交わすうち、弥作の胸臆からは過去の罪が蘇ってくる。

 

 

狐者異

打ち首晒した稲荷坂祇右衛門。残虐非道の限りを尽くした大悪党がついに仕置きされたとして、八百八町はこの報せに湧き立っていた。しかし一方でこの祇右衛門には、およそ信じがたい噂が立っているのである。祇右衛門は過去に二度首を斬られ、その度に首を繋げて蘇ったというのである。百介は、刑場に晒された首級を見に行くが、その道中で思いがけない人物と出会う。山猫廻しのおぎん。おぎんは、稲荷坂の祇右衛門に対して遺恨があるという。

 

 

 

読了:202327