再会の『百物語』。

前作『西巷説百物語』から11年。新しい『巷説』が読めるというだけでも欣喜雀躍ですが、今回は京極小説と親和性の高い「遠野」が舞台ということで、これまた胸の高鳴りを禁じ得ないものがあります。

怪魚、怪虫、怪鳥。かの地には化け物妖怪が跳梁跋扈。殺人熊もいれば顔無しの女人もいるし、龍は天に昇る。ストーリーとしては、それらの昔話が生まれるプロセスを遡行するような展開であり、これまでの『巷説』とはまた異なる趣向です。そして、その巷説の裏に鎮められたは邪心野心。遠野に舞台を移して復活した妖怪仕立ての狂言芝居。人の世の哀しさが胸を打つ、珠玉の百物語でした。

 

 

 

 

内容

歯黒べったり

磯撫

波山

鬼熊

恙虫

出世螺

 

 

 

再会の『巷説百物語』

悲しいこと辛いこと遣る瀬無いこと。どうにもならないこの世の損を、妖怪の仕業に仕立て上げ、闇に鎮めてしまう。深い怒りと悲しみの代わりに、巷に怪しい噂を残す。そんな妖怪仕立ての狂言芝居を稼業とする小悪党たちが、諸国を股にかけて暗躍するのが、この『巷説百物語』シリーズ。

無印『巷説百物語』から始まり、『続』『後』『前』『西』と続き、そしてこの六作目『遠巷説百物語』。『西』から実に11年を経て、2021年に満を持して刊行されました。

そしてこの『巷説百物語』シリーズは、毎回趣向が異なるのが特徴のひとつに挙げられます。無印版は複数の視点が綾なす構成であったり、『続』は第三者視点で『前』は仕掛ける側の視点で話が進んだり、毎度違った構成が楽しめます。

そしてこの『遠巷説』は、昔話が生まれるプロセスを遡行する、という展開。遠野に伝わる「譚」を最初に語り、次に巷の風聞、実際の怪異体験、そしてその真相を描くという四段構成を成しており、「譚」が出来上がる過程を逆に辿ることができます。

目鼻を失った怠け者の嫁。童を拐かし火を吐く大鶏。馬さえも喰い荒らす鬼熊。それらが出来上がり語られるに至るまでには、悲しく闇深い真実があったのです。

 

 

 

表の世界で生きる者、裏の世界に生きる者

そしてその中におけるキーパーソンは、シリーズ初登場・宇夫方祥五郎(うぶかた しょうごろう)。盛岡藩筆頭家老・南部義晋の密命を受けて、領内で起こっている事件や巷で囁かれている諷説を蒐集しては殿に奏上する。御譚調掛(おんはなししらべかかり)という非公式なお役目の浪士。そしてその宇夫方の情報収集を助けているのは、自堕落な性分であり職を転々としているが、市井の動向に通じた町人・乙蔵。

片や非公式片や無職という、共にあまり胸を張ることのできない御仁なわけですが、それでも双方いいだけ素ッ堅気、いわば表の世界の住人。しかし、表があれば漏れなく裏も付いて回るが世のならい。「遠野」にも裏の世界はしっかり息づいており、今回そこで暗躍する小悪党は二人。どんなものでも器用に拵える異相の大男・長耳の仲蔵、そして亡者踊りを体得している献残屋・六道屋の柳次。それぞれ『前』と『西』に登場していた小悪党たち。今回はこの二人が妖怪仕立ての狂言芝居を請け負います。この二人による、なかなか何でもアリな妖怪仕掛けが楽しめます。

 

 

 

『死神』の遺恨、そして黒衣の鴉

ハイライトはやはり、最終話「出世螺」と言わざるを得ないでしょう。

『巷説』シリーズは、六冊が上梓されており、それぞれストーリーが繋がっています。この『遠』において、これまでの『巷説』と一番繋がりが深いのは、しんがりを張る「出世螺」。

『続』における巨編「死神」。この「出世螺」は「死神」を葬ったあの夜から八年後のストーリーとなっており、その時の遺恨がここでの大事件に発展しています。幕閣の要人による大掛かりな不正、天下の大罪。先の疫病騒動「恙虫」と合わせて、かなり読み出があります。

そして『巷説百物語』といえばこの人。あの小股潜りが満を持しての登場。もっとも、いつものあの白装束ではなく、黒衣の鴉としての再会となります。その小股潜りが、かつての朋輩たちとともに、遠野を舞台に繰り広げる妖怪仕立ての狂言芝居。さらにこの鴉に、あの天狗の大技が受け継がれているのも「おおっ」って感動したところでした。

そして、この八年のブランクや、黒衣を纏うに至ったその仕儀も、現在連載中の『了巷説百物語』で描かれているのでしょう。『巷説百物語』も文字通り「了(おわり)」に迫っているわけで、それを思うと何とも感懐去来するものがあります。

 

 

 

 

 

 

妖怪。人の心の闇。魔物の数だけ悲しみがある。あやかし達の哀しい闇を、当代きっての妖怪小説家が、至高の筆致で書き綴る。装丁まで含め、京極小説の極致とも言える一冊ではないかと思います。

京極作品で「遠野」というと、『遠野物語remix』や『遠野物語拾遺retold』、あるいは絵本などが思い起こされます。そしてこの『遠巷説』では、「縫」や「乙蔵」や「鮭断ち」など、『遠野物語』『~拾遺』とリンクさせている箇所がいくつか散見しており、それらを探していくのも、これまた楽しいものがあります。『遠野物語remix』や『遠野物語拾遺retold』で語られている「譚」にしても、実はそれらの裏には、語るに忍びない悲しい真実があったのではないかと夢想して読み直してみると、なかなか違った趣が感じられてくるものです。

「遠野」を舞台を据え、リブートを果たした『巷説百物語』。「百物語」の「了(おわり)」も、着実に近づいています。

 

 

 

 

歯黒べったり

遠野南部家御用達の菓子司・山田屋。乙蔵は、その山田屋から座敷童衆が出ていくところを目撃したという。実際、菓子の味も落ちたし、嫁も人前に出なくなってしまったし、山田屋では変事が続いている。

一方ところ変わって、愛宕山の裾野では、夕暮れ時に、眼も鼻もない鉄漿黒染の大口女が出没するという。すでに十人から、その奇怪な化生を目にしているらしい。狐狸の悪戯か、はたまた物の怪の所業か。

 

 

磯撫

米取引に関する理不尽な下知。その所為で、遠野の町は大騒ぎになっていた。のみならず、米も魚も捌かれず、近隣からの荷送りも止まってしまった。この状態が続けば、遠からず飢えにより死人が出るは必定。

そんな中、海のほうでは巨大な怪魚が目撃されている。鮫か鰐か鯱か。それほどの巨体を誇る大魚が、川を上り山へ向かっているという。

 

 

波山

年ごろの娘ばかりが行方知れずになる事件。すわ拐かしか神隠しかと、村人総出で捜しに出るも、その行方は杳として知れない。それが三、四日ののち、焼け爛れた無惨な死体の姿で戻されるという。

乙蔵は、一連の事件は鶏の蛮行であると断言する。劫を経た鶏は、妖怪・波山となり、口から火を吐き人間を取り殺す。伊予の国から移り住んできた油商・鳳凰(おおとり)屋が、この波山を連れてきたのだという。

 

 

鬼熊

盛岡藩において遊郭はご法度。しかし、どうやらこの遠野には隠し女郎屋が存在するらしい。女たちは他の在所から連れて来られたものと思われ、外出も許されずそのまま閉じ込められたままであるという。

そしてその女郎屋があるという貞任山のほうでは、冬籠りしているはずの熊が里に降りてきた、との目撃談が聞かれる。その体躯たるや、並の熊の二倍も三倍も大きいというのである。

 

 

恙虫

今年の遠野は豊作が見込まれ、誰もがその慶事に湧き立っていた。さらにこの豊作を祝うための祭りも企画されており、奉行所の許可も下りている。そして、町人たちは予算の段取りを組むため勘定方に赴くが、これが一向に埒が明かない。勘定方の組屋敷がすべて閉められているのだ。なにか不始末があって閉門の沙汰が下ったというわけではない。疫病が流行り出したために隔離されているのではないか。乙蔵はそう推量する。

 

 

出世螺

恙虫騒動で宇夫方の知るところとなった十万両の公金横領。そこには、宇夫方など名前を口にしただけで手討ちにされるほど身分の高い幕閣の要人が関わっているという。さらに遠野にはその着服金が隠されているのではないかと、遠野南部家当主・南部義晋は推測しているのであった。

そして領内では、遠野の何処かで宝螺が抜けている、という流言が広がっている。齢経りし法螺貝が、龍となって天に昇るときに、巨大な孔が出来上がる。そんな噂を、黒衣の男が領内に広めているという。

  

 

 

読了:20221129