「人の心ほど深く昏いものはない」というのは帯の一文ですが、それも大いに得心が行く、底なく業の深い一冊です。六人の御仁。口を開けばもっともらしい理屈が溢れ出る。でも本当は、ただ面倒くさいだけ。無理だ出来ない仕方がない。言い訳だか自己弁護だか判らないような御託に口を使う暇があるのなら、他にいくらでもやる事があるのだろう。

全編通して一対一の会話形式で進行していくわけですが、その問答の果てに顕れるのは、それぞれの狡猾さと俗悪さでした。

 

 

[目次]

一人目。

二人目。

三人目。

四人目。

五人目。

六人目。

 

 

 

[梗概]

自宅で殺害された派遣会社登録の女性・鹿島亜佐美。犯人は捕まらず警察の捜査も進まぬまま、いたずらに数ヶ月が経過していた。

一方その間に、彼女の事を尋ねてまわっている奇妙な男がいた。彼の名は渡来健也。24歳のフリーター。鹿島とは生前に四回会っただけであり、恋人でもなければ友人ですらないという。

仕事でもなく遺族というわけでもないのに、何の目的で、そんな付き合いの浅い女のことを嗅ぎまわっているのか。渡来は、鹿島の隣人や恋人あるいは母親など彼女に関わりのあった者たちのもとを訪れ、そして「アサミについて話を聞かせてほしい」と執拗に頼み込むのであった。

 

 

そんなストーリーであり、全六篇、渡来が訪ねた相手の視点で話が進んでいきます。

『一人目。』が被害者の派遣先上司、次がマンションの隣人、そして恋人、母親、担当刑事、弁護士という順番。一対一の会話形式であり、語り手と渡来以外はほとんど登場人物がいません。「」談シリーズではこうゆう形式の話もいくつか収録されていたと思いますが、京極小説全体としては割と珍しい趣向と言えるでしょう。

そしてその応酬の果て、それぞれが抱える嘘が暴かれ、業がさらけ出されることになります。

特に『一人目。』に関しては、読み始めはこの本がどうゆうスタイルなのか分からないわけで、読み手も完全に語り手視点で読むと思います。登場人物と同様に、この無礼な若造に対して「何だこの社会の落伍者みたいな瘋癲は」と眉をひそめる事になると思いますが、しかしその実本当にヒールだったのは語り手のほうだった、というミステリー的な快感があります。

『二人目。』以降はそのスタイルが分かったうえで読んでいくことになるわけですが、各話における吐き気を催す邪悪っぷりがこれまた実にいい。会話が進むにつれ、それぞれの闇深さが遺憾なく発揮されていきます。

 

 


 

 

 

「アサミについて話を聞かせてほしい」

馬鹿の一つ覚えのようにそう頼み込むも、実際その質問に対して当意即妙に答えが返ってきた例は一度も無いわけです。むしろ返されるのは不審の籠った視線と邪険な扱い。それもその筈で、遺族でも警察でもマスコミでもないのに死んだ女の事を訊いて回るような不審人物が訪ねてきたら自分だって門前払いするだろうとは思います。

この中では半ば成り行き的に、突然現れたこの闖入者を迎え入れて話をすることになるわけですが、しかし実際は誰も「鹿島亜佐美」本人については話をしない。自分の事しか話していない。それは、「鹿島亜佐美」について「話さない」のではない、「話せない」から。誰も「鹿島亜佐美」本人のことを見ていなかったから。恋人はおろか母親でさえ、誰も彼女のことを知らない分からない。そして結局自分の事しか喋らない。

現実でも案外そうゆうものかもしれないなとは読んでいて思ったものでした。自分の事しか喋らないし喋れない。まあ、よくある事ではあるのでしょう。

 

 

「死ねばいいのに」

渡来が訪ねた六人の御仁たちは、一様に己の不遇さを呪い嘆いている。

ある者は家庭の不和から不倫に逃避し、ある者は周りからの評価が不当だと憤慨する。またある者は、ヤクザ稼業から脱け出せない自分の為体に諦めを抱く。

「仕方がない」「どうしようもない」「無理に決まっている」

それぞれの口の端に上るのは、そんなありきたりの自己弁護。

でも本当は、努力することが面倒であったり、環境を変えることが怖かったりするだけ。そして面倒だと思っている自分を認めたくないから、あれこれと理屈を捏ね回して、自分を正当化しようと腐心する。まあ当たり前と云えば当たり前というか、誰しも心当たりはあるでしょう。己を誤魔化そうとすること自体が、そんなに悪いことだとも思いませんし。

されど、そんな御託を並べる者たちに向かって、渡来は最後に言い放つ。

「そんなにどうしようもないのなら、死ねばいいのに」

 

こいつはこいつで色々もっともらしい理屈を立て板に水で語るし、言っていること自体は大体分かるように書かれているようでした。もっとも、こいつの言っていることが一から十まで完全に腹落ちするってこともまた無いんじゃないかとは思います。もしかしたら読む人によっては、語り手の主張のほうがピンとくるところがあるかもしれません。

この「渡来健也」という人物造形は、どこか『ヒトでなし』にも通底するものが窺えました。

 

 

そしてそんな六人の中でも、一番小胸が悪くなったのは『四人目。』の母親。

「自分は悪くない」「悪いのは全部他人の所為」。己の怠慢と不甲斐なさを棚に上げて、よくもまぁここまで他人に責任転嫁できるものだと妙に感心します。読んでいると無性に腹立ってきます。

ただ、最後の「何もしたくない」「働きたくなんかない」「ちやほやされたい」という本音は正直で噓偽りなくてある意味実にいいなって思ったものでした。変に自分を誤魔化したり己を正当化するための理由を探したりするより、面倒臭いからやりたくない、と開き直るほうがまだマシと言えるかもしれません。なかなか口に出さないだけだったり、もっともらしい理屈で誤魔化していたりするだけで、その実は多くのひとがこんな風に思うことはあるだろうとは思ったものでした。

 

 

 

「鹿島亜佐美」を殺害した下手人は途中で分ったので、一応「ミステリー」と謳われてはいたものの、ミステリー的な驚きはそこまでではありませんでした。もっとも、その殺害にいたるまでの仕儀が、なかなか想像の範囲外であり、初読のときはゾクッと来たものでした。

「不幸になりなくないのなら、幸せなうちに死ねばいい」

 

 

読了:202219