パニック障害は どこかに消えていく~ 自由がほしかったのか?そして お母さんありがとう。 | 奇跡のてんこもり

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結婚出産後リウマチ発症とパニック障害線維筋痛症、10年の薬漬け人生を断薬する。結婚後アダルトチルドレンからの影響で病氣・家庭内問題・夫婦同居子育てに様々な影響が出た経験と自分の体感し克服してきた道のりのブログ

 

パニック障害/2008年~2011年(記憶では)

 

 

 

時間の経過と共に 少しずつ 少しずつ 薬にも頼りながら

発作の回数も 減っていったと思います。

 

徐々に徐々に 行動範囲も広げて

パニック障害の時でも 幼い子供二人を連れて

 

茨城から実家の浜松まで乗り換え、乗り換えで 親に会う為に

孫を会わせたい一心で帰省してました。

 

今は、思うと それがよかったのかぁ? と。

 

自分が 動かないと どうにもならない環境。


私の親が パパの親と同居してる住まいに 気兼ねなく泊まることは

なかなか 簡単では ありませんからね。

 

 

 

私自身も 茨城に住み始めてから 自分が好きな時に

出かけられる手段が ありませんでした。

 

 

車の免許を 取得したのも 2006年冬。

ヒロトが3歳の時。

 

免許は持っていても2011年6月まで車がなかったので

本当に自由がなかったんですよね。

 

 

何しろ ここはバスも通ってないし

もとよりの電車の駅までは 歩いて 片道45分の田舎ですから。

 

 

パパが休みの日に出かけるか

義理の母と買い物か

義理の母が使わない時だけ

車を借りるか。

 

その様な 生活パターンでした。

 

 

書いていたら 思い出してきました。

 

 

体調が良くない私を氣遣い 母が茨城に来てくれました。

 

その最中に 東日本大震災が起きて

 

母は長いこと 茨城に足止めされていたわけです。

 

 

その時に 母は 車もなくて 田舎の自宅にいるだけの生活では

 

あの子は 治る病気も治らない と思ったそうです。(´;ω;`)ウゥゥ

 

 

 

浜松に帰ってから 父に話をして

 

父が私に 車を買ってくれたんですよね。


2011年 6月 

車納車! 私の車。 自分の車があるだけで

 

こんな行動範囲 広がるのですね。

 

車の運転が 好きな 自分に 氣づきました。

 

 

そして いつの間にか

 

パニック障害は どこかに 消えていきました。

 

 

自由がなくて くるしかったのかな。

 

亡き母に

助けてもらっていたんですね。

 

 ありがとう お母さん 💛



大好きな カタカムナシール

TQ加工されてます。

物質を変換する。

電磁波対策にも

嫌な場所にも

色々

永久に

使えます。