こんにちは、apiadです。

 

オリバー・バークマンさんの本「限りある時間の使い方」の中に、興味深い記述があったので、ご紹介いたします。

 

この本は他のタイムマネジメント本とは一線を画した内容で、「時間は有限だし、それを受け入れろ」というのが主な主張になっています。

 

時間の有限性とは何か?

それは、私たちの時間が限られているということです。

 

ふと忘れがちになってしまうこの事実。一日の貴重さを忘れ、ああ今日もYoutube見て終わってしまった…という経験をしたことがある人も多いと思います。

 

私たちも実は分かっているはずです。「こんな行為はやらないほうが良い」と。

ではなぜYoutubeスパイラルに陥ってしまうのか?

 

その問いに答えるにあたって、オリバーさんは、ネットの空間を

 

空間が意味をなさず、時間が終わりなき現在として広がる領域

 

と説明されています。

 

自らの有限性から逃れ、その苦痛を少しでも軽減するために、ネットの空間を漂っているのだと言うのです。

 

実はこの説明は評論家であるジェイムズ・ドゥスターバーグ氏の言葉で、オリバーさんもそれを引用したことを明記しているのですが、さて「空間が意味をなさず、時間が終わりなき現在として広がる領域」とは一体何なのでしょうか?

 

ここからは私の考察です。

 

まず、私たちが一日の内自由に活動できる時間は限られています。

食事・睡眠などを除けばおよそ十何時間。

その中で勉強や家事・やりたいことを行うにはどうしても時間の有限性、つまり何時間使うかを勘定に入れて計画しなければなりません。

ここで私たちは自分の限界に直面するのです。

 

しかし、です。ネットの世界に計画などありません。アルゴリズムに基づき、私たちが好んでクリックしそうなコンテンツを自動的に表示し、私たちはその都度自分の時間を少しずつ消費していく。この際、私たちには自分の過ごす時間の全体像が見えていません。

 

ただただ目の前にある、次々と送られてくるコンテンツに夢中になっているだけです。もはや、その間私たちの中に「時間」という概念は存在しません。ただ「今」がある状態です。

 

「今」を生きろ!という標語があることからも、それは良いことなんじゃないかと思われるかもしれません。

しかし、ここで重要なのは、ネットの世界に入り浸る理由が「入り浸りたいから」というよりは「自分のやりたいことをやることから逃げるため」であることが多い、ということです。

 

自分のやりたいことから逃げる?それはどういうことでしょうか?

どなたでもやりたいことはあると思います。スキルアップ、外国語の習得、コミュニティへの参加、ボランティア…

それでも、「物事は計画通りにはいかない」のが常です。「計画」と「時間」の概念は切っても切り離せません。

そして、計画通りにいかない時、その時に不快感が発生します。

その際、完璧主義の人はどうなるでしょうか?

そうです、

「自分の思ったとおりに行かないから嫌な気持ちになる」ので、

そもそもやらなくなる

のです。

 

そして、やらないことへの理由付けとして、「Youtubeを見てしまったからだ」とする訳です。

つまり、順序が逆なのです。

「スマホのせいでできなかった」のではなく、「やりたくないからスマホを見た」なのです。

 

これは完璧主義の人が陥りやすい思考です。

 

ここから抜け出すにはどうすればよいのか?

オリバーさんは、「不快感を受け入れる」ことを薦めています。

物事がうまくいかない、その時の不快感をそのまま受け入れるのです。

何でもかんでも上手くいったら世界はつまらないじゃないですか。

丁度良い壁だと思ってその壁を楽しみましょう。ああ、ざらざらするなぁ…

 

なんか自己啓発本みたいになりましたね。

 

ご覧いただき誠にありがとうございました。