あの日の今くらいの時間に
母は旅立ってしまった。
父ちゃんと海渡と、湘南の海へ
散歩に出かけ、そこに妹から
母が昨夜急変し、救急搬送され
今(お昼前)危篤だと…
会わせたい人に連絡を…と
言われたって
飛行機でも新幹線でも可能な限り
急いで来て…と、言われたけど
わかった…と、返事をしたけど
悲しい位冷静に、間に合わないと
察してしまい、深呼吸をしてから
母への伝言を頼んだ。
出来るだけ急いで行くけれど
待っていてくれたら嬉しいけど
辛かったら、待たなくていいよ
母は頷いたそうで
それから30分もせずに
間に合わない。旅立ってしまった
だから、慌てず安全運転で来て
と、連絡を受け、脱力した。
あれから、折々に思うのは
母が私の年齢な頃、何があった?
何をしていたのかな?って事
そして、大体の思い出に
反省したり、後悔するアホ娘な私
母が私の年齢の頃
父ちゃんの放射線治療を終えての
副作用や後遺症を心配していた。
父ちゃんの治療中、くも膜下出血
脳幹出血に倒れ、他界した義弟
その悲しみを飲み込んでいた筈
そして、多分その頃から
母の中で病魔が暴れ始めた。
更に、下の義弟が末期の告知
同時に、私の恩人が同じ病院に
入院してると知り、時間があれば
なくても、無理やりに作ってでも
病院に足を運んでいた。
母は、そういう人だった。
自分の体調に異変があっただろに
暑さのせい。少し疲れたせい…と
それより、残り時間が限られた
義弟の為に、出来る事を…って
無理したんだろうな。
とか、思い出し、巡らせて
母の強さと弱さを再確認したり
多分、私の最強のお手本は母
母さん
面と向かっては言えなかったけど
めちゃくちゃ凄く大好きでした。
これからも大好きなまま生きます。
へなちょこでヘッポコな私だから
背中を押したり、引き止めたり
支えて、見守っていてね。
追伸
海渡にオヤツあげすぎないでww
お空じゃ体重の増減ないかもでも
母さん、あげ過ぎだったからさ
今でも心配なんだもの。
とりあえず、もうしばらくは
父さんと海渡と仲良く待ってて。