今回も「毒親育ち」関係の記事です。

 

かつての私もそうだったのですが、

自分の親が「毒親なのか、毒親ではないのか」に関して

今ひとつ自信が持てず、

悶々としている方が結構いらっしゃるようなので、

私の経験をひとつの例として書いておくことにしました。

何かのお役に立てれば嬉しいです。

 

 

自分が育った家が

もしかするといわゆる機能不全家族だったのではないか、

と疑い始めたのは、

5,6年前のことでした。

 

きっかけは

近所の子ども(幼児)がお母さんに叱られて

泣いている声でした。

 

激務だった仕事を辞めたばかりで、

のんびりだらりんと

自宅に籠っている時間が長かった頃のことです。

 

近所は子育て家庭ばかりで、

毎日、どこかの子どもたちが

家の周りの道路で遊んでいるのが聞こえてきました。

 

子どもたちが騒がしいのは

幸いなことに日中の数時間のことだったので、

私はもともと子ども好きなこともあって、

「楽しそうでいいな」

と微笑ましく眺めて聞いていました。

 

それで、隣の家の○○ちゃんは

あそこの家の△△ちゃんと仲がいいとか、

逆に、「今ちょっとけんかしている」とか、

子どもたちなりの人間関係まで

把握していました。

 

ある時、

ふだんから仲がいいのか悪いのか、

少し微妙な関係の◇◇ちゃんと□□くんが

遊びの順番のことでけんかになったのを

目撃、いえ、聞きました。

 

そこで、口が達者な◇◇ちゃんが

□□くんのお母さんに上手に(?)告げ口をしたため、

□□くん(幼児)は

お母さんにひどく叱られて、

ワンワン大泣きになりました。

 

家の中で一部始終を聞いていた私は

気が気ではありませんでした。

 

「お母さん。ちょっと待ってください。」

「悪いのはどちらかというと◇◇ちゃんの方です。」

「□□くんをそんなに頭ごなしに叱ったら、

□□くんがかわいそうです。」

 

「□□くんがかわいそう。」

「□□くんがかわいそう。」

「□□くんがかわいそう。」…

 

と心の中で念じているうちに、

私まで涙があふれてきました。

 

←ここで「あれ?」って思ったんです。

 

「今、私、□□くんがかわいそうって思って

泣いているけれど、

私は子どもの頃、もっとかわいそうな目に

あってきたよね?

それなのに、

『子どもの頃の私』がかわいそうって思って

泣いたことなんか、ないよね?」

 

それで、

「私って何かおかしい?壊れている?」

と不安になったので、

自分が子どもの頃に受けた仕打ちを

一つ一つ思い起こしてみました。

 

例えば、

↓この辺りに書かれていることは、そのほんの一部です。

 

毒親と歯 -1-

こんなの見つけた

 

そして、

自分が受けた仕打ちの一つずつについて、

「もし、その仕打ちを受けたのが、自分ではなく、

近所の○○ちゃんだったとしたら」

と考えてみたら、確かに涙が出てくるんです。

 

「ひどいよね。こんなことされたら、かわいそうだよ。」

と自然に思えるんです。

 

ところが、

「その仕打ちを受けたのは自分自身だ。」

と思っているうちは涙が出てきません。

 

「ひどい仕打ちだ。理不尽な仕打ちだ。」ということは、

理屈ではわかっているのですが、

その「ひどい仕打ち」を「私」が受けるということに

ついては、何の感情も湧いてきませんでした。

 

「理不尽な仕打ちを自分が受けることは

当然のこと。そのことに何の疑いもない。」

というような、歪んだ認識をもっているため、

「自分がかわいそう」という感情が湧いてこない、

涙も出ない、ということのようです。

 

「これは確かに何かがおかしい」

と思いました。

 

私は自分のこと以外では涙もろくて、

テレビで児童虐待のニュースが流れたりすると、

それこそ人前だろうとなんだろうと、

数秒で涙が出てきてしまうようなところがありました。

 

それなのに、何故、自分に関しては

1ミリも涙が出ない?

 

不思議です。

 

そこで、私は子どもの頃、

一体どんな仕打ちを受けて育ったのか、

一度確認してみようと思いたち、

その被害の大小を問わずに

とにかく書き出してみました。

 

で、記憶を辿って

書き始めてみたら、

出るわ、出るわで、

A4 50枚ほどになりました。

 

「こんなことまで覚えていたんだ!」と

自分で自分の記憶力に感心しました。

 

そして、書き出したものを

改めて読んでみても、

やっぱり「自分がかわいそう」という感情が

湧いてきませんでした。

 

ひどい仕打ちを受けている(過去の)自分を

ぼーっとしながら傍観している(今の)自分がいる、

といった感じです。

 

おかしいです。

 

それで、

「かつての自分がかわいそう」と

感じることができるようになりたいと、

練習をすることにしました。

(我ながら、変にまじめですね。)

 

天気がよくて、

あまり気分が落ち込んでいない日を見計らって、

書き出した50枚を読んでは、

私にはこんな理不尽な仕打ちを受けるいわれはない

と自分に言い聞かせています。

 

長文をお読みいただき、ありがとうございました。