長らく休んですいません(汗)
またぼちぼち書いていきます~
1997年、ヨシカズが加入したロンサムロードは2本目のカセットテープ(5曲入り)を発表し、ライブに継ぐライブでバンドサウンドと結束を固めていきました。
それまでの思うように動けなかった鬱憤を晴らすかのごとく、この頃はホントにひたすらライブばかりしていたような気がします。
年が明けて3本目のカセットテープ(4曲入り)製作に取りかかった頃、
「そろそろ活動の場をもうちょっと広げんとあかんのちゃうか!?」
「京都や神戸とか?」
「それもええけど、やっぱり関東やろ!」
そんな話が出たのですが、関東にコネがない我々は当時世話になってたブーミンホールのマネージャーH氏に相談しました。
「せやせや、ぼちぼちロンサムも向こうへ出ていかなあかんと思ててん。何軒か向こうのハコに話するわ。」
東京のライブハウスに口を利いて貰い2デイズのショートツアーを企てました。
出来上がった3本目のカセットテープを引っさげ乗り込んだ東京…
初日の渋谷屋根裏は全くのアウェイ状態。
関東に住む友人が数人来てくれた程度で他のバンドのお客さんからは完全に無視され、いきなり手痛い歓迎をうけました(笑)
「明日もこんなんやったら暴れて帰ったろか!?(笑)」
ライブ後に友人らと明け方まで渋谷の居酒屋で飲み倒し、半分開き直って迎えた2日目の高円寺ギア…
結成した当時から漫画家の高橋ヒロシ氏が自身の作品「クローズ」の中でロンサムロードの名前を取り上げてくれていた事もあってか、前日が嘘のように沢山の人や関東で活動するバンドマンたちが噂を聞きつけ集まってくれました。
そこから関東のバンドや色んな方々との交流が出来、定期的にツアーへ出たり大きなイベントに出演させて貰ったりして徐々に関東でもお客さんが増えていき、地元大阪での活動も波に乗ってきたようでした。
しかしこの頃から音楽性について私が表現したいものとバンドとして提示すべきもの、そして求められてるものに些かギャップがあるように感じ始めたのです。
それでも活発化していく活動の中である程度のことは自分自身に飲み込んで、ロンサムロードとしてどうするべきかを考えるよう努めました。
当時は「音楽をやる=バンド、ロンサムロード」という図式しかなかった私。
今のように「バンドで出来そうになければソロやユニットで」なんて自由な発想は持ってませんでした。
自分の音楽はバンドで昇華する考えしかなかった。
そして4本目のカセットテープに向けた曲作りを始めたとき、想いが開花し葛藤が始まるのです…
