今日はスチュワーデスの日スチュワーデス、憧れたことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようあこがれは、なかったなあ。野球選手とケッコンする人だとずっと思ってた、というと世代感出るかな―いやいや「スチュワーデス」という呼称自体がそもそも旧時代な感じだよな。現代的には「客室乗務員(女性)の日」かあ、なんか微妙だなあ…
朝の習慣―またはとくべつなキツネの群れ。通勤で毎朝車を40分ぐらい運転している。それ自体は目的地(会社)に向かって時間とエネルギーを消費して移動するというたいへん味気ない行為だが、毎日繰り返していると、好むと好まざるとに関わらず、ほんのりとした他生の縁で結ばれた存在と時間空間を共有しているのだと感じるときもある。いつもほぼ同じ時間に同じ場所ですれ違う車。いつも同じ場所から強引に割り込んでくるヤンキー車。雨の日も雪の日も蛍光グリーンのウィンドブレーカーを着ておそらく散歩をしているじいさんは、すれ違う場所で会社に遅刻しそうかどうかが分かる、自分にとってのちょっとした目印だが、雪の日は進行方向の轍の中をチマチマ歩いて向かってくるので、いろんな意味で危険極まりない。追い越すときの緊張感が尋常ではないので、天気の悪い日ぐらい家でじっとしとけよ、と思うのだが、姿を見ないと見ないで、やれ風邪でもひいたのか、入院でもしたのかと心配になる。妙なもんだ。その先にも、通学児童のために信号機の前で旗を持って立ってるじいさんばあさんだとか、小柄な黄色い合羽の集団だとか、コンビニの駐車場でうらぶれた顔で煙草を吸ってるいつもの兄ちゃんだとか、名前も知らない、おそらくは関わりを持つこともない、でも全く個体認識してないわけでもない人間が“いつもの風景”として存在している。それを、ときどきは、星の王子様風に言えば“とくべつなキツネ”の群れのように感じながら見ている。そんな存在に「どいつもこいつも、せいぜい元気で過ごせよ」と、上から目線で心の声で語りかける。それが、ワタクシの毎朝の習慣です。
憂鬱。「ストーカーに執着の対象者を本当に好いとる奴は一人もおらん」と言ったのは、たくさんストーカー事案を担当した弁護士さんだったかな。確かにその通りだと思います。相手を好いとるというのは相手を思いやるということですが、奴らにあるのは、主に(そしてほぼほぼ)自己承認欲求だしな。と、ここ数日、ストーカー殺人未遂事件の報道を見ながら、すっかり気持ちが沈んでいます。そして、被害者の意見陳述を聴いて「じゃあ(オレを)殺せよ!」と言った被告人。この言動、ストーカーあるあるだよねぇ。執着の対象者に言ってるのをよく聞きます(どこで⁉)。って、3回ぐらいだけど(だからどこで⁉)。しまった。散々人の「一人、二人、みんな」やら「ひとつ、ふたつ、たくさん」を小バカにしてきたのに、ここで「1回、2回、よく聞く」発言をしてしまったよ。もとい、なんで対象者が手を汚してオマエ(ストーカー)を始末せにゃならんねん。割に合わんわい。という思いがフツフツとわいてきます。逆ギレしながら執着の対象者に自分の気持ちの始末を丸投げする姿も含めて、奴らに対しては理解したくない気持ちで一杯ですが、その行動の元になる心の動きは一般的にありふれているものばかりで分かりやすいのが、なんだかとてもツラいです。アアア、憂鬱だあ!誰かタスケテーo(T□T)o