おまじないコブラはじめました。 -118ページ目

おまじないコブラはじめました。

河内美雪さんの『借金王キャッシュ』好きが昂じてこのようなタイトルをつけましたが、中身は数学オタク中年乙女のボヤキです。悪しからず御了承くださいませm(_ _)m

科学的考証とかできてないため、ウンチクは話半分で読んでください。

【9月5日】
この日も痛みなく目が覚める。前日の荒れ様が嘘のような穏やかな天候。

携帯の電源を入れて駐車場に行く。幸い、車は無事だった。吹き付けた葉っぱだらけだが外傷はない。安堵する一方で、破損した車の持ち主の落胆を想像し、少しブルーになる。

絶飲ではないため、前日まで水とお茶のみ口にしていたが、どの程度のものまで飲んでもいいのか看護師さんに訊いてみたところ、フルーツジュースぐらいまでは良いとのこと。乳製品の入ったものは腸の動きを活発にするのでやめた方がいいといわれ、自宅での薬を飲むためのヨーグルト摂食がマズかったことに気付く。

午前10時頃、両親が着替えと充電器を持ってきてくれる。少し世間話をして気が晴れる。

この日、入院して初めてシャワーを浴びる。ホラー映画かと思うほどの髪が排水口にたまる。『来る~きっと来る~♪』というフレーズの脳内リフレインがしばらく止まらないが、とてもスッキリする。

リフレッシュの効果か、ごくわずかの(食べてないしな)入院後初めての便も出る。
「出たら見せるように(腸内の出血の有無の確認のため)」と言われていたのでナースコールを押すが、仕事とはいえ他人の排泄物を見なければならないとは大変だな、と改めて思う。
わずかに血が混じっているようだが、あらかた止まっているようだったのでホッとする。

午後3時頃、おやつのつもりで
小岩井純水りんごを飲み、美味しさにうち震える。
平常時に飲んでも美味しいんだけどね。小岩井純水りんご。

この頃には充電も終わり、虚血性腸炎についてGoogle先生に教えてもらったり、点滴されている輸液の名前を検索したり、以降ネット廃人のような状態になる。
うす緑色のカーテンの中に閉じこもっている間に、外の世界ではエライ災害が起こっていることを知り驚く。麻生美代子さんが亡くなっていたことにも驚く。

フネよさらば。どうか安らかに。

【9月6日】
お腹が空いて目が覚める。
先生が様子を見に来て下さり、この日の昼から食事開始となる。

人が見れば味気ない入院食に違いないが、自分にはお膳が輝いて見える。お粥を口に含んだときのでんぷん質のウマさ、おかずの塩味にえもいわれぬ幸せをかみしめる。
食べられるって素晴らしい。時間をかけて、ほぼ完食する。
一方で、食べるのが当たり前になったら、このおいしさを忘れてしまうのだろうと思うにつけ、幸せとは儚いものだ、と、少し先走った感覚も芽生える。

順調に食べられれば、いずれ点滴も終わる。自分の中で、それが今日いっぱいという根拠のない希望的観測が生まれる。

とくに不調もないまま、夕食を迎える。
避けた方がいいと言われていた乳酸菌飲料が出てきて小躍りする。

ビバ、ヤクルト!
ビバ、シロタ株!

乳製品のコクを満喫し、希望を胸に就寝する。

【9月7日】
輸液ポートがついたまま目が覚める。
希望的観測はやはり希望的観測だった。先生から「もう一日様子を見る」とのお知らせがある。ちょっとがっかりする。

食事を始めたので、次の課題は便通となる。腸の動きをよくするためにと、ベッドで肩倒立をする暴れ患者。輸液に自分の血液が逆流し、ビビってやめる。

食事は相変わらずの五分粥だが、まだまだ美味しい。回数をこなす毎に少しずつおかずの固形感が増す。なかなか気を使われているのだな、と感じる。
食後の牛乳を飲みながら、北海道地震による停電で搾乳が止まり、乳腺の張りに耐えている乳牛に思いを馳せる。
今暇だから、ここでチャリンコこいだエネルギーが北海道に送電できるなら、なんぼでもこぐんだけどな~(適度な運動での整腸作用も期待)。などと意味のないたらればに陥る。

あとは、点滴を受けながらネット廃人のように過ごす。食うもの食ってます感漂うガスは出てくるものの、お通じの気配はない。

夕飯後、下剤を貰うかどうか悩むが、翌日出なかったら考えることにする。

先伸ばしの神様に身を委ねて就寝する。

【9月8日】
お通じのことで頭が一杯になりながら起床。気にしすぎるとかえって良くないのはわかっていても『肩の力抜こうとしすぎて肩に力入ってる』トゥーマッチ売りの中年状態。

トゥーマッチ売りといえば、今日、横浜でレ・ロマネスクのダンス縁日振替公演あるんだよな~いいな~都会の人、と思いながら動画を見て心を慰める。


朝食後、輸液ポートが外れる。点滴卒業で、またひとつ退院への階段を上る。
点滴がなくなった分、意識的に水分補給をしていると、お腹がゴロゴロしだす。いよいよ来たか!と気色ばむが、調子のいいときのようにはいかない。
まだ炎症が治りきっている訳ではないので痛みがあり、一週間前の経験が思い出され少し恐怖するものの、そこまでの痛みにはならないままお通じが来る。普通便のあとに水様便が続くが血便はない。相変わらず微妙な気持ちで、看護師さんを呼んで確認してもらう。

3日目ともなると食べることにも慣れて雑になってくる。意識的によく噛むようにする。お粥は食べやすいが故にほとんど噛まずに胃もたれを起こすこともあるのだ。

夕飯後に姉子が退屈しのぎの本を持ってきてくれる。高校生の頃好きだった火浦功さんの、宇宙版スチャラカ必殺仕事人的な話。過ぎるぐらいに大人になった今でも面白いと思えるだろうか…
数十年ぶりに『ミスターブー アヒルの警備保障(日本語吹き替え版)』を見るような緊張感でページをめくる。まだまだ面白くホッとする。

少々ノスタルジックな心持ちで就寝。

【9月9日】
もはや病人というのも申し訳ない状態で起床。早々に退院する気満々で朝ごはんを待っているが、どうだかな…








まだもうちょっと入院予定ですが、ここ暫くの顛末を。

誰も興味はありますまいが、記録まで。

【9月1日】
深夜、腹痛に見舞われる。
はじめは「腹こわしたな、こりゃ」ぐらいだったが、トイレにこもっても例の方がなかなかお出ましにならず、そのうち全身から滝のような汗が。
しまいには激しい痛みと手足の痺れでのたうち回るようになり
「もしかして死ぬんちゃうか」と思いながら、一時間ほどかかってやっと用を足したものの、一向に腹の痛みはおさまらず。
通常の下痢ではないのかと思いつつトイレに通い続けると、粘液状の血便(ずっとぼかしてきたのに書いちゃった)が。
『腸管出血性大腸菌』の文字が頭をよぎる。

細菌性の食中毒なんて、ひ弱なオカンに感染ったらひとたまりもないし、そのオカンが「あの薬飲めこの薬飲め」と場当たり的に無責任なことを言ってうるさいので、姉に夜間救急に連れていってもらう。
症状とエコーの所見から、細菌性ではなく、『虚血性腸炎』との診断を受ける。絶食で様子を見る入院も勧められたが、そのときは状態が安定していたので、翌日も受診する条件で、止血剤の点滴と痛み止め錠剤の処方を受けて帰宅。
午前1時頃、空腹のまま痛み止めを飲んで就寝。

【9月2日】
午前6時、痛みで目が覚めトイレに駆け込む。相変わらず粘液状の血便が出る。空腹のまま痛み止めを飲み、効いてくるまで、暫く死にかけのゴキブリのように手足をバタつかせながら転がる。
落ち着いてから、身だしなみを整え(薬が効くと嘘のように楽になる)病院へ。
血液検査とCT検査を受け、病名が確定する。やはり虚血性腸炎とのこと。
またしても入院を勧められたが、症状的には自宅療養との境界ぐらいと言われ、まあいっか、と思って帰宅する。

昼12時、再び死にかけのゴキブリと化し、下血。胃粘膜を気にして少量のヨーグルトを食べて痛み止めを飲む。
(今から思えば、乳製品は腸を動かすので失敗だったが、このときは知る由もない)

痛み止が効いてきたので、新車の1ヶ月点検に行く←無茶だった。
少し立ち歩いてもダメージが大きく、ぐったりしながら帰って寝る。

午後9時、痛みで目が覚め、三度ゴキブリと化す。ヨーグルトを食べて痛み止めを飲む。

家族には「明日仕事休む」と言いつつ、痛み止めの効く時間が延びてきていることに自信を持ち、なんなら半分出社するぐらいの気持ちで就寝。

【9月3日】
午前6時、通常起床。痛みはない。ますます出社できそうな気持ちになるが、油断は出来ない。経験則から、次に痛み止めが切れるのは7時頃とにらみ、暫く様子を見る。
7時過ぎ、案の定死にかけのゴキブリと化す。ジタバタしながら会社に休みの連絡をする。
血便と、少量の通常便が出る。どうやら、薬が切れると腸が動く仕組みらしい。痛み止めを飲むための少量の食事を続ける限り、この繰り返しになるのがだんだん辛くなり、入院を決意(遅いわ)。

言うても一日か二日ぐらいだろうと勝手に思い込み、着のみ着のまま病院へ行く。
診察後、すぐに病室へ。入院計画書の「一週間」の文字を見て、慌てて会社と家に電話をする。

入院後、すぐに採血と点滴。既に軽い脱水に陥っており、なかなか血管が出てこない。血圧も上85の下35ぐらい。自覚しているよりバイタルが低下していた模様。どうりで寒いと感じるはずだ。布団に潜り、暫くひたすら眠り、どきどき起きて水またはお茶を飲んでこの日は終わる。熱もあったようで、しんどくて口呼吸を繰り返した結果、唇の皮がバリバリになる。
(この朝を最後に痛み止めは飲まず)

【9月4日】
痛みもなく目が覚める。
絶食中のため、この日もひたすら点滴を打ちながら安静にして過ごす。
症状が安定してきたので、次第に暇をもて余すようになり、どきどき点滴を連れて院内を徘徊するようになる。売店でメンターム薬用リップクリームを買い、すでにバリバリの唇に塗る。

家族に着替えと携帯の充電器の差し入れを頼むが、天気はすこぶる悪い。どころか台風が近づいている。今日持ってきてもらうのは無理だろう。上司に携帯が繋がる旨連絡していたが、いつ電池が切れるやら。

なんて、呑気に考えていたが、午後からいよいよ本格的に荒れだした。建物が揺れはじめ、心細くなった患者さんがザワつきだした。

台風情報が気になるが、いかんせん電池残量が少なくて確認できない。朝の情報を元に、午後3~5時が最も荒れると見て、じっと様子を窺う。

午後5時半、テレビで日本海へ抜けたらしいとの報道を見るが、まだまだ風雨は強い。そのうち『駐車場の車の窓ガラスが割れている』という話が流れてきてソワソワしだす。
週末に1ヶ月点検終わったばかりなのに廃車になったらどうしようか。車両保険出るのかな。などと、今しても仕方ない心配で頭が一杯になる。
明日見に行って写真撮れるぐらいの電池残量残しておこうと、携帯の電源を切ることで、少し落ち着く。

外部と連絡を取っている方から、近辺一帯広範囲に停電しているらしいとか、信号消えているとか、自宅方面の国道でトラックやトレーラーが複数横転して通行止めになっているとか、電柱が何本も倒れているとか情報が入ってきて、今度は自宅の状況が心配になりながら、この日は就寝する。


…あ、ちっとも退屈してないわ。



前回よりつづき。

Google先生にお尋ねしたところ、着物の襟合せが右前になったのは奈良時代、当時最先端の文化大国だった中国(唐)の思想、律令に倣ったもののようです。

当時の中国(唐)では、ざっくり言うと

『右より左の方が偉い』というような思想があり、それを受けて

『庶民は高貴な人から見て右側の身頃が上に見えるように衣服を着なさいよ』

というように衣服令を改定したのがルーツではないか、というのが、検索上位の内容です。

他にも『唐の考え方で左前は蛮族の着方だったので右前に改めたのでは』というのもありましたが、いずれにしても、時代も唐の思想制度を意識したものであることも似たような背景を持っている説です。

で、その衣服令の改定が行われたのは養老二年または三年。西暦で言えば718~719年。

って。





1300年前の身分制度、或いは国際情勢に基づいた忖度を現在に伝える日本人…

なんだかな。




件の衣服令には

『こんな身分の人はこんな服を着なさいよ』
『この身分の人はこの色着ていいよ』

など、事細かな規定があったようですが、紫が高貴な色とされている程度の名残はあるものの(←これ冠位十二階だったッス)、右前ほど今日まで色濃く残っているものは(一般社会では)ないように思えます。ってワタクシが知らんだけか?

(皇室での宮中行事なんかでは、まだ生きてる可能性があると思いますが)



なぜ右前の習慣が残ったかについては、右利きが多いから説というのがあります。

人類は言葉を喋る関係で左脳が発達したことから右利きが多いとされ、人種居住地を問わずだいたい9割を占めるそうです。

右前だと懐に右手を入れやすく、手拭やら小銭やらなんやかやが取り出しやすいから定着したんでねぇの。というのですが、それはそれで1割の左利きさんへの配慮が…

ワタクシは個人的に武士階級による支配ってのが右前を今に伝える大きな要素では、と思います。

右前の方が、左に差した刀を抜くときに着物の合わせ目を引っかけにくいという利点があります。

無礼討ちを宣言したものの、刀を抜くときに襟元がはだけてワチャワチャしているうちに相手に逃げられ、自分が切腹することになった日にゃあ、目も当てられませんもの。

なんてね。




かように、右前のルーツ自体は現代人にフィットしなさそうだというのはわかりました。

じゃあ『死に装束』云々の方はと言うと。

諸説ありますが、やはり衣服令がルーツのようです。

またまたざっくり言いますと

『此の世を離れたら、身分なんかないから左前着てもいいんだよ』

という思いで着せるとかなんとか。





どこか遠くから『Imagine』が聞こえてきそうですな。

そうなると、ますます

「左前、別にいいんでないの?」

と思えてきました。





でも、でもですよ(嗚呼、まだ自分を正当化したい気持ちが)。

歴史とはちょっと違うところで、ワタクシには右前に合わせて着てほしい気持ちがあります。

訳のわからん忖度の遺物とはいえ、現在の着物は、右前に着付けた時にもっとも柄が活きるように、テキスタイルをデザインする人も、仕立てる人も知恵を絞られているのです。

訪問着のような絵羽もののみならず、小紋柄だって、鋏を入れるまで何度も柄合わせをして相当悩むと、ある仕立て屋さんから聞いたことがあります。そういう意味では、むしろ小紋の方が大変だとも。

あなたの手元にあるその一枚は、知恵を絞ったり悩んだりしたいろんな人の心意気の集合体とも言えます。

どうか、その心意気に応える素敵な着こなしを。その一環として、右前で着てケロ。



なんか、最後ちょっと噛んでしまいましたが、そして、意味あんの論から根性論へ転んでしまいましたが、本日はこんな感じで。





まだまだワタクシも青いな。