(理系⇒¬かわいい)言説についての考察。 | おまじないコブラはじめました。

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河内美雪さんの『借金王キャッシュ』好きが昂じてこのようなタイトルをつけましたが、中身は数学オタク中年乙女のボヤキです。悪しからず御了承くださいませm(_ _)m

科学的考証とかできてないため、ウンチクは話半分で読んでください。

数日前


「理系でもかわいくなれる」


という、アレな上にもアレな文言が、ものすごい勢いでSNS上を流れて行きまして(新聞だか雑誌だかネット記事だかがあったようですが、あまりに流れが早すぎて元ネタにたどり着けないまま通り過ぎて行ったとですよ…)。


短いセンテンスながら色々とっちらかっとるので、気になる点を順不同で挙げて行きます。


①「でも」で繋いでる時点で、命題「理系ならばかわいくない」を正として扱っており、所謂理系に属する人にケンカ売っとるな感甚だしい(炎上目的なの?)


②仮にケンカ売ってないとしても「理系」と「かわいい」「かわいくない」の間の合理的な因果関係が全く説明されてない。


③ケンカ売ってない、むしろ理系の人自身のエンパワメントだったとしても、②のような非論理的命題を元に押し出すのって、理系としてどうよ?


④ここまでなんとなく来てしまったけど、そもそもなんで「かわいくない」と人に向かって言うことを、ワタクシ(以外の人もたぶん少なからず)「ケンカ売ってる」と感じるのか。


⑤つーか、ここまで無意識に「理系」=「理系の女性」みたいに思ってきたけど、それで正確なのか。また、そう思ってしまったのは何故か?



他にももうちょっとあるのですが、とりあえずこれぐらいで。




とにかくねえ、雑なんですよね。物言いとして。


「かわいい」と聞いて思い浮かべるものは、人それぞれ。


特定のキャラクターやアイドルを思い浮かべる人もいれば、研究対象のミジンコや粘菌を思い出す人もいるかもしれません。

片思いや両思いのあの子を思い浮かべる人もいるだろうし、雑貨や衣服、アクセサリーを思い浮かべる人だってきっといます。


ワタクシのようになにかと犬に吠えられがちな人間にはちょっと緊張感の高い、鋭い目をしたごっついシベリアン・ハスキーだって、飼い主さんからすればかわいい子なんではないでしょうか。


かように「かわいい」は、個人の経験と関係性の産物という要素の強い価値観なわけです。


それをまるで「社会的にこういうもんだ」というものがあるかのように扱うことのムリムリ感たるや。



言い換えれば、関係性皆無または極めて低めの誰かの言う「かわいい」「かわいくない」なんぞ


「外野はだまっとれ」


なのです。



厳密に言えば、パブリックな「かわいい」はありますが、それはざっくり


「小さい、弱い、未熟」


に集約されるように思います。典型的なのがお子様です。


それは、もともと「小さい、弱い、未熟」な存在を守るために人類になんらか備わってるものなんではないか(「知らんけど」を付けたいぐらい雑な説の自覚はある)と思いますが、そういったかわいさの物差しを関係性の希薄などこかの理系(概ねハイティーン以上)の人に向けたら、それは


「キモっ!」


であります(個人の意見です)。


かわいさを相手に求めているのが「守る必要がある人」に手を差し伸べるような人ならまだしも「かわいい⇒弱い⇒チョロいので意のままにできる」を求めている人なら尚更です。


チョロい人を必要とする人の求めに応じてチョロくなったとして、その先に良好な視界が広がっているとは思い難い。むしろ害がありそうです。




それとは別に、理系という(これまた雑な)括りが、ホモソーシャル(おっさん的ヒエラルキーの世界)でわりと強めの武器(優位性)的な扱いがあるので、その価値観にどっぷり浸かった層から見れば、理系の人は帯刀した剣士みたいなもの。ツヨツヨですから「かわいくない」のは当たり前です。


場合によっては、なぜか剣士は必ず自分を斬りに来ると思い込んでいる人がいて(憶測ですが、その人は帯刀してたら丸腰の人斬りに行くんでしょうね…)、剣士に向かって


「かわいくない」


とわざわざ言いに来たりすることがあります。相手の優位性を、恣意的な別の価値観で下位であると投げかけて中和しようとする、まあ、発言者の自己防衛ですね。


この「かわいくない」子供が言うことを聞かないとか、他人が思い通りにならないときにもよく発せられます。


ワタクシには経験ありません(そもそもナンパされない)が、ナンパを断ったら「ブス!」と罵倒されたという話もまあまあ耳にします(好みのタイプだから声かけたんやろアホが。仮に本当にお前にとってはブスやったとしても、お前の事前確認不足を恥じろナンパ野郎)。


自己防衛で投げられた石だって、当たれば痛いし怪我もするので、わけのわからん仮想敵との幻の闘争はほどほどにしていただかないと。


自尊心を傷つけるのは面子にこだわる自分の劣等感だし(自分で書いといて耳痛え)、他者が思い通りにならいことと自分が否定されることは必ずしもイコールではなく厳密に切り分けて考えるべきだと、みんな(誰だよ)肝に銘じて生きてほしいと切に願う次第です。


ワタクシ自身もゆめゆめ石なぞ投げるまいと思っているのですが、実際できているのか…



あと、本人が「かわいくなりたい」と思っているならば、老若男女文理を問わず、本人がなりたい姿になるために努力するのはぜんぜんアリだと思っていることを、最後に付け足しておきたいと思います。





などと屁理屈を捏ね回してきましたが、気にするな言われてもできないほど


「理系(女子)⇒¬かわいい」(¬は否定を表す記号です。ちょっとイキって使ってみました)


に曝されてきているのでしょうねぇ…



どうか、美味しいもの食べたり、十分信頼関係が構築できている人と穏やかな時間を過ごしたりして、毒を抜いて下さい(なんのお願いだよ)。



※問題点全部網羅できてないけど、力尽きたのでこれでアップロードします。