今日明日にも着ないとしばらくお蔵入りの着物。 | おまじないコブラはじめました。

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河内美雪さんの『借金王キャッシュ』好きが昂じてこのようなタイトルをつけましたが、中身は数学オタク中年乙女のボヤキです。悪しからず御了承くださいませm(_ _)m

科学的考証とかできてないため、ウンチクは話半分で読んでください。

先月の天神市で

梅柄ベースの散歩着を手に入れました。

なんか変な写真な理由は後で説明するから、ちょっと待ってね。

上前には雪持ち。

いつ着るの?今でしょ。なんならtentoさんの新年会これ着たら良かったんじゃないの?的な季節限定感溢れる一枚です。

と、ここで、散歩着ってなあに?という方もいらっしゃると思いますのでざっくり説明しておきますと、着物全体は小紋(型紙でプリントするパターン柄と思っていただけりゃあだいたいOKであります)の柄付けで、前身頃の裾だけに絵羽柄(縫い合わせの生地をまたいで描かれている続き柄)が入っているものです。

振袖や訪問着では少々派手すぎるかな、という場面で着るためのカジュアルなお出掛け用の着物で、戦前関西で着られてたんじゃね?と言われております。

作られた地域も時期も限られるせいか、10年以上前から戦前の着物を蒐集するために骨董市やイベントやkimonotentoさんへ通っているワタクシでも、実物を目にすることは滅多にないレアアイテムで、だいたい見つけたその場でゲットしなければ次はないものなのですが、この子は柄もいい感じなのに何故か長い間風雅舎さんの店頭にあり(着用できる季節の短い子は売れにくい傾向はあるっちゃあるけどね、長年ウォッチしてる感じだと)、初めて出会ってから三年目の新春の記念にワタクシの元にドナドナされるに至りました。

は~長い(いろんな意味で)。

で、なんか写真が変だとか、25日に買って26日に着ればいいのに着てない理由に戻ります。

簡単に言うと、左(だったよトホホ)袖の袖下がほつれてたんですよ。

で、縫い目の内側もなんだかモタモタしてたから、袖下の縫い目を一旦全部解いてみたわけです。アイロンあてて、もたついてるところを落ちないように中から縫い留めようかな、と。

したらば、長い袖が折り上げて縫い込んであり、再びごちゃごちゃ折り込むより、ほどいて元の長さに復旧する方が綺麗になるような気がしてきたのです。

はい。この時点で新年会の着用はムリになりました。

で、片方だけ中途半端に復旧の後、放置されていた状態が冒頭の写真になります。


というわけで、本日はこの着物の短いままだった方の袖の復旧作業に取りかかりました。


まずは、袖の下の縫い目をほどきます(表地)。
ここね。

全部外したところ。結構な長さなので、中で垂れて大きな皺になってました(モタモタしてた理由)。

次に、袖あき側の上げを留めてある部分をほどきます(画面左寄り)。すると、表地と胴裏が一部外れます。

さらに、胴裏の袖の下の縫い目をほどきますと、わりと自由度が増しますので、表地と胴裏の間から中外をひっくり返して、袖口側の上げを留めてある部分を出します。

糸の違いは、後で手が加えられた部分を知る上では大事な手がかりとなります。

横向きに、ちょっと色の違う糸で粗く縫ってあるのが上げを留めたものですので、これをはずしていきます。

上げを全部外したら、一度中外を戻してみます。

反対側の袖は、もうちょっといろいろ元の縫い目がほどいてあってボロボロでしたが、こちらは袖あき側を閉じるだけで良さそうです。


先に復旧した袖の角に丸みを付けてしまったので、こちらも角丸に仕上げます。

二重に角の丸みを縫って、外側の糸を引いてアイロンでおさえます。

あんまりキレイじゃないけど、自分で着るので気にしない(といってる時点で気にしてる)。


あとは、アイロンで生地と折り目を整えて、表地と胴裏をまち針で合わせて、口を閉じていきます。

合わせ目の少し内側を掬ってひたすら縫うべし(地味でツライ)!

しかしどうして昔の紅絹はこう薄いんだぁ(掬いにくくてめっちゃツライ)!

そして、掬ってかがるときって、やたら糸が絡むのよねぇ(地味にツライ)…


というような作業の末

無事着られる状態になりました。

遺跡の発掘現場で、無事に壺をひとつ組み立てられた学芸員のような満足感で一杯です。


でも、暦の上では立春。

さて、着てもエエもんかのう…