さて、今回『沈黙。』なるタイトルをつけましたが、なにもワタクシがずっと黙っとったというような意味ではございません。
虐待で亡くなった栗原心愛さんの母、なぎささんが、裁判で「心愛さんに言いたいことは」と問われての、およそ二分ほどの無言の時間のことであります。
あれは、夫のDVがいかに苛烈で、娘のことなど考えることができないぐらいに疲弊しきっていたのか、ということなのかな。
と、ニュースを見てからずっと考えていたわけです。
自分の心身が危うければ、とても人を気にかけることなどできないでしょうから。
「それでも、母親なら子供を守るのが当たり前でしょ」とは、ワタクシは言えません。
「そんな男と結婚した見る目のない女が悪い」とも言いません。
そもそも、悪いのは全面的にDVや虐待を行った夫です(もうちょっと掘ったら夫をそのように育てた親が出てくるかもしれないし、諸事情で出てこないかもしれない)し、そこを差し置いても、人がどんな人間かカンペキに見切れる人間などそうそういないので、誰でもそのような事態になりうるのです。
人の陥る昏い世界は、思いのほか近く―いつも歩いている道をちょっと外れたところにあるもので、うっかり足をとられると、当人ではどうしようもなくなるのだと思っています。
なので、自業自得との勘違いも甚だしく、彼女に対して声高に自己責任を叫ぶつもりはないのですが、暴力から逃れたい一心で夫に同化しようとしたり、自分に矛先が向かないように虐待を止めなかったり、ということがあったなら、それを全面的に容認はできないのです。認めてしまえば、子供が本当に浮かばれないという、非常に感情的なものですが。
いやほんま、難しい問題です。被害者の孤立を防ぐが最善ですが、うまく関わっていく方法論やノウハウみたいなものは、長らく人間としてやってきましたが、未だによくわかりません。
幼い娘の命が失われるという悲惨な結果を伴いつつ、夫と離れることになったなぎささん。
これから、いずれ夫からの暴力への心配以外のことを考えられるようになりはじめると、今とは違う苦しみに苛まれるようになるのかな。と想像したりします。
時間はかかるでしょうが、そこを乗り越え、同じような危険な状態になるまでに早々に見切りをつけて逃走できる、タフな精神と軽いフットワークを持つ人として更生されることを願います。
でもな~、日本って、そういう更生への支援があんまり整ってないんだよな~